◆カリフ国のホテル~ホテル・『カリフ』ォルニア
イラク北部モスルでは、政府軍と武装組織イスラム国(IS)との激しい戦闘が、2017年が明けても続く。大都市モスルの象徴のひとつが、チグリス川東岸にそびえるニナワ(ニネベ)・インターナショナル・ホテルだった。2014年6月、ISは町を占領するとこのホテルを独自のイスラム解釈に沿って改修、プロパガンダに利用した。欧米メディアは、バグダディ指導者を「カリフ」とするISになぞらえ、ホテル・『カリフ』ォルニアと報じた。イーグルスのヒット曲をもじったもの。フセイン政権時代に建てられ、米軍の接収を経て、のちにISの支配下に置かれ、そして今、イラク軍が奪還するという変遷をたどったニナワ・ホテル。混乱のイラクを象徴する建物でもある。ISが統治する以前のモスル現地取材と、その後のIS支配下の宣伝写真などを交えた解説の第4回目。(玉本英子)
<モスル>イラク軍掃討作戦からIS台頭までを振り返る(1) (写真9枚)
<モスル>イラク軍掃討作戦からIS台頭までを振り返る(2)(写真7枚)
<モスル>イラク軍掃討作戦からIS台頭までを振り返る(3) (写真12枚) 

IS は2014年6月、モスルを制圧。イラク軍が武装組織の攻撃に撃破され、イラク第2の都市が陥落したことは、イラクだけでなく世界に大きな衝撃を与えた。IS は、この「勝利」を大々的に宣伝し、プロパガンダ映像を多数公開した。(2015年・IS映像)
モスルの象徴のひとつがニナワ・インターナショナル・ホテルだった。フセイン政権崩壊時は、モスルに展開した米軍が司令部のひとつとして使い、多くの米兵が宿泊していたホテルだ。それが10年後、ISの手に渡る結果となった。ISの黒い旗が掲げられている。(2015年・IS映像)
2010年4 月、イラク軍第2師団とともに、モスル市内を取材した際の写真。武装勢力の攻撃が活発だったため、軍用車ハンヴィーに乗る。取材先のひとつが、チグリス河畔のニナワ・インターナショナル・ホテルだった。(2010年4月・玉本英子撮影)
2010年、ニナワ・インターナショナル・ホテルの前でイラク軍兵士たちと写す。米軍が使用していた際は、一般の利用はできなかった。米軍が基地に移動したのち、一般客が宿泊できるようになった。(2010年4月)
治安悪化のため、当時、宿泊客は少なかったが、結婚式の披露宴やパーティなどが大きな収入源になっていた。「中国人ビジネスマンが泊まりにきた」と従業員。東京・パリ・イスタンブール・バグダッドなど各都市の時刻を表示する時計が。(2010年4月玉本英子撮影)
IS支配後に再オープンしたホテルのレセプション。理由は分らないが、東京、パリ、イスタンブールの時計は、はずされている。5つ星の高級ホテルで、約260室あり、スイートルームもあった。(2015年・IS映像)

関連写真:犯罪捜査、スパイ摘発、飲酒、薬物の検挙を行う、ヒスバと呼ばれるISの宗教警察

ISはニナワ・インターナショナル・ホテルをアル・ワーリティーン(継承者)・ホテルと改名、看板も付け替えた。欧米メディアは、IS がバグダディ指導者をカリフとすることから、ホテル・『カリフ』ォルニアなどと表現。(2015年・IS映像)

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