金正恩時代の教科書事情 石丸次郎
本資料集は、金正恩時代になって発行された中学教科書の実物をデジタルデータ化したものである。教科書は2013年5月から2015年10月かけて発行されたもので、韓国在住のある脱北者が独自のルートで2016年6月に北朝鮮から搬出し、アジアプレスはデジタルデータとして提供を受けた。
収録したのは社会、人文分野を中心に全65冊分で、自然科学分野は原則として除外した。入手した教科書は、実際に使用されていたものと市場で購入したもので、ところどころに汚れ、落書きや破損、裏ページの写り込みがある。また、印刷時の落丁乱丁、あるいは破損のために、一部のページが欠落、重複があることをご了解願いたい。該当箇所は別記している。また、参考付録として、同じルートで入手した小学校教科書および、英語教科書編纂委員会報告書、英語教授要綱、自然教授法のデータと、以前にアジアプレスが現物を入手した教科書の一部もデジタルデータで収録している。
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■金父子の肖像画なし
教科書は、北朝鮮のあらゆる分野の刊行物と同様に、巻頭文をはじめ本文のいたるところで、「指導者のお言葉」を太字で強調して引用している。金日成と金正日については、小学校で「偉大な首領・金日成大元帥様の子供時代」、中学校では「偉大な首領・金日成大元帥様の革命活動」「偉大な領導者・金正日大元帥様の革命活動」という科目を設けて、個人史を学習させている。ところが、他の科目だけでなく、個人崇拝教育に特化したこの「革命歴史」科目の教科書にも、金父子の肖像が写真一枚、イラスト一枚登場しない。「金日成の革命活動」では、抗日活動中の同志として金策(キム・チェク)や呉仲洽(オ・ジュンフプ)、金正恩の最側近の一人である崔龍海(チェ・リョンヘ)の父親・崔賢(チェ・ヒョン)などが写真入りで紹介されているのだが、金日成については写真もイラストも皆無だ。
教科書を何人かの脱北者に見てもらったが、肖像が皆無なのは「子供たちが毀損、落書きするのを未然に防ぐためだ」という。すでに80年代においても、金日成の幼少時代の絵があったぐらいで、肖像写真・画は一切なかったとのことである。生徒たちが、教科書の「偉人」の肖像にいたずら書きするのは、日本、韓国、北朝鮮で同じようである。
■「金正恩同志の革命活動」
「金正恩同志の革命活動」という科目があることもわかった。北朝鮮に居住している複数の取材協力者、及び2015年以降に脱北して韓国に居住する人に確認したところ、「教科書はなく、教員向けの『教授案』だけがあった」(元教員)。「先生が『教授案』で教えていた。革命活動の実績がないのに教科書を作ったら、生徒たちの笑いものになるから作れないのだと、人々は話していた」(2016年2月、高級中学生の時に脱北した人)。
この教授案とは、「敬愛する金正恩元帥様革命活動 教授参考書」(教育図書出版社2014年)だ。韓国の市民団体「自由北韓放送」が初級中学校用の同書をデータで入手したというものの提供を受けたので、参考資料として収録する。「自由北韓放送」の説明によると、同書は全学校に配布することができず、国内のイントラネット上に掲載されたものを、各学校でダウンロードして印刷し、使用しているとのことである。内容を検討した結果、実物である可能性が高いと判断したが、一字一句まで原本データ通りなのかは不明であることをお断りしておく。
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