◆IS独自解釈の厳格なイスラム法統治、始まる
イラク北部の大都市モスルは、古くからキリスト教徒も暮らしてきた。2014年6月、モスルを制圧したISは、当初、キリスト教徒にも寛容な姿勢を見せていたが、約1か月後、キリスト教徒住民を町から追放。女児をのぞくすべての女性には外出時に黒いヒジャーブ(ニカブ)の着用を強制するなど、独自解釈した厳格なイスラム法統治を始めた。IS支配下のモスルで暮らし続けたイラク人の大学教員サアド・アル・ハヤート氏(47)に話を聞いた。連載の第2回目。(聞き手:玉本英子・アジアプレス)
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◆突然、統制を強化したIS
【サアド氏】
ISが町を掌握した当初、彼らは何の規則も布告しませんでした。一度クルド自治区へ逃げた私と家族でしたが、モスルの家に戻りました。その時に逃げていたキリスト教徒の一部も戻りました。しかし、それから1か月ほどすると、突然彼らは態度を変えました。キリスト教徒から金品財産を取り上げ、町から追放し始めたのです。そして彼らの家やお金、車、服も取り上げたのです。野蛮な集団です。町じゅうで怒りが広がりました。私も住民の多くも、ああいう行為に同意できませんでした。私たちはこれまでキリスト教徒と兄弟のように暮らしてきたのに。これがモスル占領後に起きた最初の酷い事態でした。
<<<モスル大学教員に聞く(1)たった数日間の戦闘で町のすべてを支配(写真7枚)
そして次にISは多くのモスク(イスラム寺院)を破壊しました。敵対するシーア派モスクだけではなく、歴史的価値のある預言者ユヌス(ヨナ)・モスクも爆破しました。
そして8月になり、今度はモスル西方に暮らすヤズディ教徒を襲撃しました。当時は知りませんでしたが、男性たちを殺し、女性と子供を拉致したということでした。その女性たちの一部がモスルに連れてこられたそうですが、私は彼女たちの姿を一度も見たことはありません。多くはモスル郊外やシリアに連れて行かれたのではないでしょうか。ただ、こうしたこともモスル市民は支持しませんし、受け入れられるものではありません。
◆女性にはヒジャーブ着用強制
同じ頃、女性には外出時、頭から顔、そして全身を覆う黒いヒジャーブ(ニカブ)の着用が義務付けられました。通常、モスルのイスラム女性は頭にスカーフを巻き、髪を隠すことはありますが、顔全部を黒いベールで覆う人なんて、ほとんどいませんでした。女性たちには相当なショックだったと思います。上の娘は当時14歳で、「なぜここまでしなくちゃいけないの」と、嫌がっていました。しかし彼女も外出時には黒いヒジャーブを必ず被りました。肌が少しでも見えてはいけないということで、手も黒い手袋で隠さなければなりませんでした。そういうこともあって、女性の多くは必要以外の外出を控えるようになったと思います。
日がたつごとに段階を踏んでISの統制が厳しくなりました。布告文(ビラ・文書)を通りで配布したり、金曜日にモスクで告げられたり、彼らのラジオで伝えたりもしました。路上では、宗教警察(ヒスバ)が市民の監視や統制をはじめました。彼らの「法」に従っていないとみなした者を捕まえて処罰したり、刑務所に入れたりするようになりました。(つづく)
(9終) IS去ったモスルのこれから(写真9枚)
(8) 当初、ISを受け入れたモスル住民も~「気づいたときは遅かった」(写真12枚)
(7) IS支配下での礼拝とモスク(写真8枚)
(6)「モスル解放」のなかであいつぐ報復(写真11枚)
(5) 衛星テレビ視聴禁止布告~住民統制強まる(写真14枚)
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(3) 宗教警察が社会統制(写真10枚)
(2)シーア派やキリスト教徒住民への迫害(写真7枚)
(1)たった数日間の戦闘で町のすべてを支配(写真7枚)
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