モスルの小学校についてISが伝えた写真。ISはアフガニスタンのタリバン政権と異なり、女子教育そのものは否定していない。大学でも女子は学べたが、「女性に必要ない」と判断され、女子学生が排除された学部・学科もあった。(モスル・2015年・IS写真)
モスルの小学校の女子児童ら。IS写真では、児童に学用品と冬季衣料が配布される様子を伝えている。(モスル・2015年・IS写真)
有志連合軍の空爆で破壊されたモスル大学の前で被害の様子を「リポート」する英国人人質ジョン・キャントリー氏。IS宣伝映像に繰り返し登場してきた。(2017年IS系アマーク通信映像)

ISは大学の女子教育に制限をつけるようになりました。他の学部には女子学生もいたようですが、私が教えていた工学部では女子学生は大学から追い出されました。女性職員も同様でした。ISから命令された学部長が、女子学生たちに登校禁止の布告を伝えた時の、彼女たちの落胆した表情が忘れられません。それまでの研究や勉強をすべてあきらめなければならなかったのですから。優秀な子たちばかりだったのに、本当にかわいそうでした。私たち教師はもちろんですが、市民の多くが悲しみのどん底にいました。「こんな厳格な規則は私たちの信仰とは違う」と憤慨する友人もいましたが、ISを恐れていたので、どうすることもできませんでした。

モスル大学はイラク屈指の名門大学。キャンパスは広大な敷地と充実した設備を誇った。モスルが制圧されてからはISの指導方針に基づく教育が進められた。(2017年IS系アマーク通信映像)

そして、男子学生も大学に来なくなりました。ISのやり方に同意できなかったからです。もちろんISの方針に異議を唱えたり、批判など口にできるわけがありません。ですので、彼らは登校をあきらめたのです。運よく、隣のクルド自治区へ逃れた学生もいましたが、ISに目をつけられないように、家にこもった者が少なくなかったようです。

結局、学部は閉鎖され、私は仕事を失います。これまでの貯金を切り崩して食料品などを買い、生活することにしました。家族全員が家にこもっての生活が始まりました。いつか元の生活に戻る日が来ると祈りながら、私は自身の化学研究のための論文などを読む日々を続けました。(つづく)

 

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(9終) IS去ったモスルのこれから(写真9枚)
(8) 当初、ISを受け入れたモスル住民も~「気づいたときは遅かった」(写真12枚)
(7) IS支配下での礼拝とモスク(写真8枚)
(6)「モスル解放」のなかであいつぐ報復(写真11枚)
(5) 衛星テレビ視聴禁止布告~住民統制強まる(写真14枚)
(4) 学校での洗脳恐れ、通学やめさせた家庭も(写真9枚)
(3) 宗教警察が社会統制(写真10枚)
(2)シーア派やキリスト教徒住民への迫害(写真7枚)
(1)たった数日間の戦闘で町のすべてを支配(写真7枚)

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