私は大体150万イラク・ディナール(約15万円)月給がありましたので、1年間はなんとか大丈夫でした。ところが、その後、支給が止まってしまい、私たち家族の生活は厳しくなります。電気技師だった弟だけが仕事を続け、彼の収入と私と兄が蓄えたお金で家族を支えました。
IS支配下でのライフラインは不安定でした。例えば行政からの送電が、1か月、2か月とまったくなかった時もありました。その時は燃料を買い、家にある発電機を使います。1週間断水することもあったため、いつも水を溜めていました。良い時で、私の地区では1日10~15時間、電気が来ました。
ISが来た当初、携帯電話は使えました。IS支配が始まって5か月目の11月、携帯電話の使用が禁止されました。送信電波塔は破壊されました。
社会統制はどんどん強まり、ついに衛星放送視聴禁止の布告が出されました。イラクでは衛星放送が見られないということはテレビが見られないということです。「邪悪な情報を流布する機器なので使ってはならない」とされ、各家庭は受信チューナーやパラボラアンテナの供出を求められました。
外の世界から遮断されることは私には耐えられませんでした。ISに見つからぬよう、アンテナや受信チューナーを隠して、密かに視聴を続けました。
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