◆「Z」とは、社会が持つ「まともさ」のこと
「Z」という風変わりなタイトルの映画を見たのは大昔のことだ。なので、記憶に誤りがあっても許してほしい。この作品は1969年に制作されたフランス映画だが、監督はギリシャ人のコスタ・ガヴラス。舞台は抑圧的な政権が続いていた60年代のギリシャをモデルにしている。(加藤直樹)
物語は、「Z」という名の野党政治家が、衆人環視の中、ならず者たちに撲殺される場面から始まる。彼は政府に批判的な若者たちに強く支持されているのだが、決してカリスマ的リーダーというわけではなく、地味で誠実そうな人物として描かれている。
この「Z」殺害事件の担当となったのが、これまた地味な検事(正確には「予審判事」)である。上層部が彼に求めていたのは、おざなりな捜査で事件を迷宮入りさせることだった。事件の背後には軍部があるからだ。
ところが検事は、上の「ご意向」を「忖度」することなく、大真面目な捜査を開始するのである。「忠告」に耳を貸さず、圧力にも暴力的な妨害にも負けずに、彼は軍部の犯罪という事件の本丸に接近していく。彼を動かしているのは、政権への批判ではない。ただ、検事としての努めを正直に果たそうとしているのだ。だが捜査は、あと一歩というところで中止のやむなきに至る。民主化運動を押さえ込むために、軍部がクーデターを発動し、憲法を停止したのである。物語はそこで、ぶった切られるように終わる。
野党政治家の暗殺事件はフィクションだが、クーデターは歴史的事実である。ギリシャは67年のクーデターから8年の間、軍事独裁政権下に置かれた。
この作品で最も印象に残っているのは、捜査資料を読み込む検事のオフィスの外で、学生たちが「Zは生きている!」と叫ぶ場面だ。「Z」とは誰だろうか。野党政治家としての「Z」は、すでに映画の冒頭であっけなく殺されているはずだ。
私は、「Z」とは社会がもつ「まともさ」のことだと受け取った。民主主義を求めて声を上げた野党政治家の「まともさ」はもちろん、公僕としての職業的良心を貫く検事の「まともさ」も「Z」だろう。
この映画が公開された時点では、ギリシャはまだ軍事独裁政権下にあった。だがその数年後には、軍事政権は国民の支持を高めるために対外的な軍事的緊張をあおるという賭けに大失敗して崩壊。若者たちの抗議と、生き延びていた左右の「まとも」な政治家たちが主導するかたちで、ギリシャの民主化が実現した。
文科省の前事務次官・前川喜平氏は、「あるものをないと言い、知っていることを知らないと言うことは、これ以上やるべきではない」と言ったそうだ。これはつまり、「Zは生きている」ということだろう。
安倍政権とその周辺の動きを頂点として、今、日本社会の「まともさ」が崩れかかっていることをひしひしと感じる。私たちは、日本の「Z」を守りきれるだろうか。【加藤直樹】
加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。
【書籍】 九月、東京の路上で~ 1923年関東大震災ジェノサイドの残響
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