◆「夫がアスベストに曝露したのは勤務先の学校以外考えられぬ」妻の訴え
「夫・宇田川暁は、1999年9月、悪性胸膜中皮腫と診断され、アスベスト曝露が原因の病気であると告げられました。しかし、夫がアスベストを直接取り扱う仕事をしたことはありませんでした」
6月6日午後、名古屋高裁で開催された第1回公判で妻の宇田川かほるさんが、こう意見陳述を始めた。(井部正之)
宇田川さんは名古屋市の愛知淑徳学園の教師として34年間勤めたが、アスベストを吸うことでかかる特殊ながん、悪性中皮腫を発症し、2001年11月に亡くなった。定年退職まであと4か月だった。
「中皮腫はとても悲惨な病気です。夫は胸に2.5リットル以上もの水が溜まり、抜いても数日でまた溜まりました。『息が足らない。息が欲しい。水の中に絶えず顔を押しつけられているようだ』といつも息苦しさを訴えました。胸の痛みで横になって眠ることさえできませんでした。
体格のよかった夫がやせ細っていく姿に、私は何をしてやることもできず、一緒に死にたいと何度も思いました。『無念でならない。もっと生きたかった』という夫の声が今でも耳にはっきり残っています。アスベストは夫の命を奪い、家族の未来も夢も奪われました」
2005年6月末、兵庫県尼崎市のクボタ旧工場周辺で住民のアスベスト被害が判明したことを契機に、かほるさんは夫・暁さんがどこでアスベストを吸ったのか調べ始めた。だが、家族が仕事でアスベストを扱ったり、そうした工場の近くに住んでいたり、といったこともなかった。そのため、淑徳学園にアスベストが使われていたのではないかと考えるようになる。かほるさんは学校側に協力を求めたが拒否された。
「学園からは『校舎の設計図など一枚もない。ない物を探せというのか。(アスベスト被害の発生が公表されて)淑徳の名が落ちたらどうするのか』と言われ、学校アスベストの問題を真摯に受け止めようとはしませんでした」
その後、学校で吹き付けアスベストの除去工事が行われていたなど、アスベスト使用の事実が判明。かほるさんは「夫がアスベストに曝露したのは学校以外考えられない」として、2006年10月に労災申請した。ところが、2008年5月不認定。審査請求も2010年4月に棄却された。そのため2011年7月、認定を求めて提訴した。
1審では設計図書の一部が提出され、学校に多数のアスベスト建材が使われていたことが明らかになった。もっとも、およそ3分の2の設計図書はいまだ提出されないままだ。それでも多数のアスベスト建材からの曝露があったことを説明し、労災認定には十分だと主張した。
しかし、2016年11月の1審判決では中学校舎の新築工事があった8カ月間は勤務中にアスベスト曝露した「可能性がある」が、「その曝露の程度も明らかではない」と断じ、「石綿を直接取り扱う作業に従事したと認められないことは明らか」と棄却した。
かほるさんは「不当判決」だとして即日控訴。6月6日が控訴審の第1回公判だった。
学校とアスベスト。あまり関係ないと思われがちだが、学校には大量のアスベスト建材が使用されている。とくに吹き付けアスベストなど健康リスクが高いとされる建材が多く使われている。地域によっては、教室や廊下の天井をはじめ、いたるところに吹き付けアスベストが使われた学校も少なくなかった。
じつは学校に使用されたアスベスト含有建材が原因とみられるアスベスト被害は少なくない。学校教員でアスベスト関連疾患を発症し、石綿健康被害救済法に基づく認定を受けているのは2015年度まで計178人に及ぶ。ところが、アスベスト被害を受けた学校教員の労災や公務災害の認定はきわめて少なく、筆者が知る限り10人に満たない。
一方、吹き付けアスベストが使用された建物で働いていただけで2013年度までに104人が中皮腫などを発症し、労災認定を受けていることが、厚生労働省が公表している資料で判明している。これらの人びとはアスベストとはまったく関係ない職種だが、宇田川さんとは違って労災として認定されている。
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