◆IS協力者を拉致、殺害
イラク第2の都市モスルを支配していた武装組織「イスラム国」(IS)は、イラク政府軍の奪還作戦を受け、西部地区へと退却した。東部地区の住民には、解放への安堵とともに、「IS以後」の住民どうしの対立や、シーア派民兵によるスンニ派への報復への懸念も広がった。IS支配下のモスルで2年半にわたり暮らした大学教員、サアド・アル・ハヤート氏(47歳)との連続インタビュー(6回目)。(聞き手:玉本英子・アジアプレス)
【サアド氏】
昨年の10月、イラク軍が奪還作戦を開始しました。その時も、衛星アンテナを隠しながら、発電機を回して、テレビを見続けました。私の地区が解放された日も、テレビを見ていて、私の家のすぐ近く、2つ先の道路のところまで、イラク軍が来たことがわかりました。
隣のクルド自治区で避難生活をおくっていた私の弟が、私が隠し持っていた携帯にメッセージを送ってきました。「イラク軍は家のそばまで来ている。外へ出ないで」。
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◆IS戦闘員に移動を命じられるが…
イラク軍が迫ってきた時、ISは住民に家から立ち去るよう求めていました。なぜかというと、住宅を戦闘拠点にしていたからです。特に高さがあり、周りが見渡せる家屋や建物がよく使われました。
私の地区が解放される前日にも、IS戦闘員が来て、ここから出て行けといいました。しかし、私たち家族は他に行く場所もなく、西地区へ移動するのは危険すぎると感じ、家の奥に隠れて、ドアを開けないことを決めました。その翌日、私たちの地区は解放されました。
ISに逆らえず、家を出てISの拠点がある西部地区に移った住民もいます。家に残ることで、戦闘に巻き込まれる懸念もあったのだと思います。しかし、不幸なことに、地区ではいくつかの爆発があり、移動のために外に出ていた住民たちが犠牲になってしまいました。
西地区へ移動したのは、主にISの関係者や、支持者たちでした。私の近所で5,6家族はいたと思います。
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