ただ、私が言いたいのは、彼らも普通の人たちでした。靴屋さんや散髪屋さんもいました。小さな商店をしている人もいました。南部バスラから移住してきたスンニ派の家族もいました。バスラの住民はシーア派が多く、少数派のスンニ派が嫌がらせを受けていました。それから逃れるためにモスルへ移住し、ISに参加したのです。

彼らは、今のところ、元の家には戻ってきていません。

残念なことですが、解放された地区では今、ISに密告されたり、拷問を受けた地元住民による元IS関係者への復讐が始まっています。

昨日、私の地区で聞いたのは、ある青年が家から拉致され、次の日に遺体が見つかったということでした。青年はISで働いていました。

イラク軍が、この青年はISだ、として拘束したのに、1週間後、釈放したそうです。住民がなぜ釈放したのかと問うと、IS容疑者リストのデータベースに照合したが、リストには登録されていなかったということでした。たぶんISにちょっとだけ関わったような若い子たちは重要人物とはみなされず、リストには入っていなかったのでしょう。

モスル近郊のIS拠点を空爆する米軍機のカメラ映像。有志連合側は民間人の被害を最小限にするとしているが、誤爆や巻き添え被害は出てしまう。ISは住宅地にあえて軍事拠点を置くなどしている。(2016年12月・CJTF-OIR写真)
IS系アマーク通信が伝えた、空爆で負傷した子供。ISは空爆被害が出るたびに
「ムスリムとイスラム教が標的となっている」などとして、プロパガンダを通じて宗教的対立の構図に持ち込もうとしている。(2016年12月・IS系アマーク通信映像)
ISはモスルで反IS地下活動家やイラク軍スパイの摘発を強化してきた。写真は反IS活動家とされる青年。このあとショットガンで頭を撃ち抜かれた。いま、ISが去った地域では、IS協力者が報復で殺害される事件が起きている。(2016年8月)


同様の例がたくさん起きています。ISのために働いたり、協力した人物がいるのですが、名前がデータベースで照会できないからという理由で釈放されています。彼らから直接ひどい目にあってきた住民たちにとって、許せないことなのでしょう。だから自分たちで手を下したようです。

こういった復讐は、今後、西部地区の解放の後にもっと起きると思います。

ここでは様々な情報機関が活動していると思うので、今後何かの解決策が出されると思いますが、これまでともに暮らしてきた地元住民たちが殺しあう現実に、悲しい気持ちでいっぱいになります。(つづく)

モスルでISを排除した地区に入るイラク軍指揮官。国防省映像は、イラク軍を歓迎する住民の様子を伝えている。(2017年3月・イラク国防相映像)
モスル西部地区で最後の抵抗を続けるIS戦闘員。激しい市街戦で地区の建物や家屋は大きく損傷している。ISが市民を「人間の盾」にしたり、脱出しようと試みる住民に発砲する事態も起きている。(2017年6月・IS系アマーク通信映像)

 

<<< 第5回  │  第7回 >>>

(9終) IS去ったモスルのこれから(写真9枚)
(8) 当初、ISを受け入れたモスル住民も~「気づいたときは遅かった」(写真12枚)
(7) IS支配下での礼拝とモスク(写真8枚)
(6)「モスル解放」のなかであいつぐ報復(写真11枚)
(5) 衛星テレビ視聴禁止布告~住民統制強まる(写真14枚)
(4) 学校での洗脳恐れ、通学やめさせた家庭も(写真9枚)
(3) 宗教警察が社会統制(写真10枚)
(2)シーア派やキリスト教徒住民への迫害(写真7枚)
(1)たった数日間の戦闘で町のすべてを支配(写真7枚)

【関連記事】
<イラク・モスル報告>子どもたちが見た公開処刑 IS去っても生活厳しく(写真6枚)
<イラク最新報告>戦闘の狭間で苦しむモスル市民~兄はISに殺害、父は空爆で死亡(写真2枚)
〔イラク現地報告〕イスラム国(IS)支配下のモスル住民に聞く(1)「戦闘員は宗教とはかけ離れた人たち」

★新着記事