◆思い切った転換こそが実は現実的な場合も
私たちはよく、何かを大きく変えることが必要だという人に対して、「それは現実的ではない」「現実にはそれは難しい」などと言う。あまりに大きな転換は無謀であり、危険だということだ。多くの場合、その通りだろう。ところが、思い切った転換こそが実は現実的である場合もある。たとえば道を誤ったときは、逡巡せずに最初の曲がり角に戻った方が、結局は目的地に早く着く。
大正から昭和にかけて活躍したジャーナリストの石橋湛山(いしばし・たんざん)が唱えた植民地放棄論は、後から見ればそういう意味で「現実的」な主張だった。彼が1921年(大正10年)に書いた「大日本主義の幻想」という論文は、「朝鮮・台湾・樺太も棄てる覚悟をしろ、支那や、シベリヤに対する干渉は、勿論やめろ」という大胆な出だしで始まる。
当時の日本は日清、日露戦争によって台湾と朝鮮を植民地とし、南満州にも租借地(関東州)などを持っていた。さらに中国にじわじわと進出し、革命直後のロシア・シベリアにも大軍を送るなど、膨張を続けていた。湛山は、そうした膨張主義はもちろん、すでに獲得した植民地についても、全て放棄したほうが日本の利益になると主張する。
植民地が必要な理由として当時、挙げられていたのは、経済的な必要、本土国防上の必要、日本の人口増加問題を解決する――つまり移民を送り出す必要、といったあたりだったが、湛山はこれを一つずつ否定する。
植民地と日本本土の貿易規模よりも日米の貿易規模の方がはるかに大きい。海外領土を守り、日本の勢力圏をさらに拡大しようという企みこそが他国との緊張を呼び軍事的負担を増大させている。移民に至っては現状でせいぜい80万人程度しかおらず、6000万人を超えて増え続ける日本本土の人口の受け皿にはならない。そもそも産業・貿易が発展していけば本土の国民を食わせることは十分に可能だ。むしろ植民地支配が抵抗運動を招くことで日本の負担や国防上の危険を増やし、中国への侵略政策が中国人の反発を招いて中国市場での日本企業の活動を阻害することを思えば、植民地支配はマイナスの方が大きい――。
「経済的利益のためには、我が大日本主義は失敗であった」。
【関連写真を見る】「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」を執筆した、加藤直樹氏
湛山は、世界的に見ても植民地支配の時代は長続きしないと断言し、ならば無理やりに支配を続けて現地の人々の恨みを増やすよりは、進んでその独立を認めることで対日感情を好転させた方が、結局は戦争のリスクを減らし、さらにそれらの国の市場で日本企業が活躍できる環境をつくることになるという結論を導き出してみせる。
要するに、日本の経済的発展は産業立国、貿易立国路線の先にある、武力で海外領土を広げることはその邪魔にしかならない、というのが湛山の主張だ。だが当時は非常識な空論、極論として受け止められた。
結局、その後の日本は「満蒙(満州とモンゴル)は日本の生命線」のスローガンの下、中国、さらにはアメリカとの戦争に踏み込み、自滅した。そして戦後、その「生命線」を失った日本はむしろ経済大国として発展し、今では6000万人どころか1億2000万人の人口を擁している。要するに、非現実的な空論に見えた湛山の主張こそが、実は最も現実的だったのだ。
一見、現実的な選択にみえるものが実は不合理の極みであり、思い切った転換こそが現実的で合理的な結論であるという場合があるということだ。2017年の日本にも、そういうことはありそうだ。たとえば原発の再稼働や国を挙げての原発輸出なども、東芝の事態ひとつを見ても、本当に現実的かどうか疑わしい。原発だけではない。現実的に見えることが本当に現実的なのか、本当に「仕方ない」のか、一つ一つ、吟味してみる必要がある。
(加藤直樹)
加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。
【書籍】 九月、東京の路上で ~ 1923年関東大震災ジェノサイドの残響
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