94年のはじめごろ、カブールでラバニ大統領派とヘクマティアル首相派が衝突し、戦闘が激化した。
砲撃はザルミーナの家の近くまで迫り、ザルミーナ一家はカブールの北外れにある高校の校舎建物で避難生活を送ることになる。

家財道具もなく、家族は身を寄せ合うように暮らしていたという。

殺された夫、アロザイの兄、モルザック。「アロザイは美しいザルミーナを愛していた。だから私たちは罪を許したんだ」と話す。(2002年4月撮影:玉本英子)

いまも残るその高校に行ってみると、用務員のおばあさんが当時のことを覚えていた。
ザルミーナは「夫とうまくいっていない」と、いつも愚痴をこぼしていた。

ある日、ザルミーナは行商の手伝いに出ると言い残し、行方不明になったことがあった。2週間近くたって、夫の家族が公衆浴場(ハマム)に寝泊りしている彼女を見つけた。

公衆浴場は、お風呂事情の悪いアフガンで人びとが日常的に利用する所だ。一方で、女性風呂は売春婦がたむろする場ともなっている。このため、「ザルミーナは売春をしていた」という噂が彼女の親戚や近所のあいだに広まった。

その後、人びとの目を避けるように、一家は事件現場となる一軒家に引っ越す。
そこでザルミーナは、夫の外出中に近所に暮らす男を家に招き入れるようになったという。

アフガンでは女性をののしる時「壊れた女、売春婦」という言い方をする。夫以外の男性との関係を禁じたイスラムの掟を破ったザルミーナは、夫のみならず、一族の名誉に傷をつけた売春婦と見なされた。

狭い社会では、噂はすぐに広まる。ザルミーナの「悪い評判」は、ほどなくして地区の人びとの知るところとなる。
「あいつは一族の恥だ。私たちが殺すべきだった」
夫の義弟、ハビビ(40)は言った。

親族の男たちはザルミーナを殺害する計画をたてていた。こうしたことはアフガンでは「異常なこと」ではない。
「一族の恥」に手をくだすことは一族の義務でもあったという。

「あいつを殺す計画がバレてしまった。だから逆に兄は殺されてしまったんだ......」
殺された義兄アロザイの顔写真を手に、ハビビはつぶやいた。(つづく)【玉本英子】 

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