ザルミーナ裁判資料から、二つの大きな情報が得られた。
ひとつは共犯者の男の存在だ。ザルミーナは「メルザ」という名の農夫と男女の関係にあった。その男が犯行にかかわっている、と資料には書かれてあった。
メルザは逃亡犯として手配はされたが、逮捕はされていない。治安警察にお金を渡して逃げた可能性も考えられる。
事件現場となったザルミーナの家近くにメルザの親戚が暮らしていた。メルザについて尋ねると、数年前に行方不明になったきり、生死すらわからないのだという。
結局ザルミーナだけが殺人犯として裁かれたのだった。
さらに重要な事実がわかった。ザルミーナ裁判は、最高裁で一度は死刑判決が棄却され、裁判のやり直しが命じられていたのだ。当時では異例のことだったという。
私は最高裁判所で当時、ザルミーナヘの死刑判決を棄却した裁判官のひとり、ジクロワ氏(48歳)と会うことができた。彼はなぜ、死刑を棄却したのだろうか。
「ザルミーナの子どもたちのためです。7人の子どもたちは父親を殺された被害者です。被害者である子どもたちから母親までを奪うことはできません」
しかし、再審では地裁、高裁、最高裁のいずれもが死刑判決をだした。そうした経緯をゆっくり私に話しながら、ジクロワ氏は目を細めて、窓の向こうを見つめた。
「再審でもう一度死刑判決になったのは、タリバンの影響もあったと思います。そういう時代でした」
自分の子どもたちに対して支払え、とされた「賠償金」は刑務所にいたザルミーナに払えるわけもなかったが、親戚からかきあつめて工面すれば、なんとかなった額ではある。
ところが、どの親戚も皆、これを拒否したのだった。
「一族の恥」であるザルミーナに同情する親族はいなかった。
一縷の望みさえ絶たれたザルミーナは、死刑執行までの約2年を女性刑務所のなかで過ごすことになった。
(つづく)【玉本英子】
(14・最終回)裁判所で見つけた警察調書と顔写真 写真2枚
(13)娘の最後の日 写真3枚
(12)競技場での公開処刑 写真6枚
(11)カブールの売春婦たち 写真4枚
(10)女子刑務所で 写真5枚
(9)タリバンは巨大な悪なのか 写真4枚
(8)タリバン支持の村に暮らす次女 図と写真3枚
(7)長女が語った意外な言葉 写真4枚
(6)遺された子どもたち 写真6枚
(5)札びらを切る外国メディアの姿 写真4枚
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