(※2003年初出のアーカイブ記事。情報等は当時のまま)

◆お金をばらまく外国メディアの記者たち

タリバン政権崩壊から3ヶ月後のカブール市内では、まだタリバン時代の「アフガニスタン国旗」の看板が見られた。(2002年2月撮影)

地方裁判所で資料さがしをしていた時のことだ。
それまで親切に対応してくれた資料整理担当者の男が、急に冷たい態度をとるようになった。
男は私にむかって言った。
「金を出さないお前には、もう協力してやらない」

男の傍らにはアメリカ人の新聞記者が立っていた。
その記者は裁判所で役人にお金をつかませて資料を手に入れようとしていた。

私は欧米の記者たちもザルミーナをテーマに取材をしはじめていてる始めていたことを知った。
多くは、タリバン政権の酷さを描こうとしていたようで、女性の犠牲者の象徴としてザルミーナを取材していた。

そして、大メディアの記者たちの多くが、法外なお金を相手に渡して取材をすすめていることがわかった。

長年続いた戦争は、国土や町を破壊し尽くしただけでなく、人びとの心にも深い傷をもたらしていた。写真は、米軍の空爆で破壊されたタリバンの戦車の残骸。(2002年2月撮影:アジアプレス)

女性たちの声をビデオに撮ろうと、美容サロンを訪れたことがある。でっぷりとした女性オーナーが現れ、言った。
「まずは300ドルをちょうだい。綺麗な女性を連れてきて、あなたの望むように答えさせるわ」

これまで取材に来た外国のテレビ局は、お金を払ってくれたのだという。
「タリバンが去って自由になった、と言うと記者は喜ぶ」
と彼女は言葉をつづけた。

私は戸惑った。
こんな経験は初めてだったからだ。
私は機材をかかえて、店を飛びだした。

私は取材をお金で買うことはしないが、取材をさせてもらった後に、お礼をしたい気持ちになったことはある。
これまで中東の紛争地、クルディスタンやレバノンなどで、私は取材をつづけてきた。取材に協力してくれた貧しい人びとにいくばくかの謝礼を申し出たこともある。

その私の「申し出」をあたりまえのものとして受け取る人もいたのは事実だ。
一方で、謝礼を断るばかりか、こんなものがほしくて取材に応じたのではない、と怒りだす人もいた。

「そんなことよりも私たちの苦しみを伝えてくれ」
かれらの闘いには独立運動や解放闘争という、誇りと大義があった。
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