ザルミーナの裁判は審理が繰り返され、最高裁まですすんだ。事実が争われたゆえではなく、「妻の夫殺し」というアフガンでは特殊な事件ゆえだった。(2002年・カブールの最高裁判所・撮影:アジアプレス)

 

私も、アフガン取材を始める前までは、タリバンの女性への過酷な仕打ちは聞いていた。
しかし取材を続けることで、さまざまなな面が見えてきた。

欧米の市民社会からみれば、タリバンは前近代的な集団と映るのかもしれない。
独自に解釈したシャリア(イスラム法)をタリバンは厳格に適用した。

ムチ打ちや手足切断などの厳しい刑で人びとは押さえつけられてきたが、内戦の混乱で横行していた略奪や凶悪犯罪が格段に減った。ゆえに、これまで苦しんできた人たちのなかにタリバンに支持をよせた者は少なくなかった。

とりわけタリバンの支持が拡大した農村部では、いわゆる「村の掟」が共同体の規範となっていた。それに背いた者は、厳しく処罰される。
タリバンはこうした規律をイスラムと融合させて、都市部にまで持ち込んだ。

不倫のうえに、夫を殺したザルミーナのような女性は「共同体を乱す者」であり、アフガン社会の掟からすれば、その処刑は決して異常なことではなかったといえる。

アメリカ主導の多国籍軍の軍事攻撃によってタリバン政権は崩壊した。その後、各国の軍隊がアフガニスタンに駐留することになった。写真は国際治安支援部隊(ISAF)のドイツ連邦軍。(2002年カブールで撮影:アジアプレス)

現在もパシュトゥン人の暮らす農村部のいくつかでは、長老たちのジルガ(寄り合い)による、パシュトゥンの慣習法にもとづいた伝統的な裁判が行なわれている。そこでは個人の権利や犯罪行為の事実調査などより、一族の名誉のほうがときとして重視されることがある。

たとえば姦淫をおかし、一族の恥とみなされた女性が家族に殺されても、その家族は「一族の名誉を守った」として罪に問われないことが住々にあると、カブール地方裁判所の裁判官は話した。

タリバンだけが悪とみなすことはできないだろう。

また当時のタリバンはザルミーナをいきなり処刑してはいない。きとんと裁判にかけたうえに、釈放の機会さえ与えている。それを拒否したのは親族であった。
タリバン政権下で苦しむ人たちが多かったのは確かだが、一方的に西洋的価値観のものさしではかり、すべてをタリバンのせいにすることに私は納得がいかなかった。
私はカーラと何度も話し合いを重ねながら取材をすすめていった。(つづく)【玉本英子】

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(14・最終回)裁判所で見つけた警察調書と顔写真 写真2枚
(13)娘の最後の日 写真3枚
(12)競技場での公開処刑 写真6枚
(11)カブールの売春婦たち 写真4枚
(10)女子刑務所で 写真5枚
(9)タリバンは巨大な悪なのか 写真4枚
(8)タリバン支持の村に暮らす次女 図と写真3枚
(7)長女が語った意外な言葉 写真4枚
(6)遺された子どもたち 写真6枚
(5)札びらを切る外国メディアの姿 写真4枚
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