(※2003年初出のアーカイブ記事。情報等は当時のまま)
◆ザルミーナと母、最後の面会
取材を通して、さまざまな人に出会った。
そのなかで、私には忘れられない人がいる。
ザルミーナの母親だった。
かつてのタリバン戦車基地の近くに母の家はあった。一家は娘の死を近所に知られないように隠しつづけ、ひっそりと暮らしていた。
私はビデオ取材のお願いをしたが、家族は、「家の恥」だとして受け入れてはくれなかった。
同じ時期にザルミーナの周辺取材をしていた英国人の新聞記者は取材謝礼にと大金を提示したが、門前払いにされていた。
家族は保守的なパシュトゥン人の一家だった。女性たちが親族以外の男性の前に姿をあらわすことはない。
取材に訪れた者のなかで女性の私だけが、ザルミーナの母に直接会って話をすることができた。
私はザルミーナを「悪い女」として紹介するのではなく、アフガニスタンで抑圧やさまざまな境遇に置かれた女性のひとりとして取材しているのですと何度も話した。
最初はくもった表情をしていた母だったが、音声のみの録音をゆるしてくれた。
母は黒い瞳をうるませながら、娘との最後の日を語りはじめた。
処刑の前日、「夫を殺した女の死刑を競技場で執行する」とタリバンはラジオで告知した。
それを聴いた母は目の前が真っ暗になったという。
当日の朝早く、なけなしのお金で、ごちそうの焼肉を買った。
そしてそれを携えて、刑務所へと向かった。
死刑のことは黙っているよう刑務官から告げられた。
最後の面会に赴いた母に、ザルミーナは微笑み混じりに語りかけた。
「これからムチ打ちにされるけど、そのあと釈放されるから心配しないで」
娘の運命を知っていた母は、言葉をかえすことができなかった。
母はカバンのなかからスルマ(目のふちにひく黒い粉)をとりだした。
そしてザルミーナの美しい瞳に母はアイラインをほどこしはじめた。
母が娘にしてやれるせいいっぱいのことだった。
「ムチ打ちが終わったら、私と一緒に家へ帰ろう」
母は娘に伝えた。
ザルミーナは顔をほころばせて、こくりとうなずいたという。
午後2時。競技場で刑が執行される時刻、母は家で泣いていた。
声が近所にもれないように枕に顔をうずめて、ただただ泣き続けるばかりだったという。
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