選択的兵役拒否は、個人の権利保障の観点からではなく、二つの大戦を通した戦後処理の一環として登場した。戦時に行われた犯罪の個人責任を国際法廷において裁く試みは、第一次世界大戦後のヴェルサイユ会議において登場した。あらゆる戦争は国家の当然の行為であると考えられていた時代には、戦後処理に際して個人の刑事責任を追及するという考え方はなかった。
19世紀から20世紀にかけて、ハーグ条約に代表される国際法が発展するにつれて、戦争犯罪の刑事責任を問う考えが有力になりつつあった(1)。
残虐行為が未曾有の規模で行われた第一次大戦の経験から、国際人道法に違反するような行為は、処罰されねばならないと考えられるようになった。戦争犯罪を国際的に裁こうとする試みがあったが実現せず、国際法廷によって裁かれるに至ったのは、第二次世界大戦後であった。
ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルク戦犯法廷 (1945-46年)では、「国家行為の抗弁」も「上官命令の抗弁」も否認され(2)、兵士には、その命令が明白に違法あるいは人道に反する場合、「抗命義務」があるとされた(3)。同様に、日本の戦争責任を追求した東京裁判(1946-48年)は、被告人の責任として、被告人が就いていた公務上の地位や、政府又は上司の命令に従って行動した事実は、責任を免れる理由にはならないとした(4)。
つまり、たとえ上官に命令されたものであっても、犯罪行為を行った兵士は個人としての責任を免れず、例えば、国際法の内容について無知であったという主観的な抗弁も認められない(5)。しかも、上官から「命令に従わなければ殺す」などと脅されて強制された場合であっても、量刑は軽減されうるが、責任は逃れられない。
1946年の第1回国連総会は、「ニュルンベルク裁判所条例によって認められた国際法の諸原則」を確認する決議(95-1)を全会一致で採択し、1950年国際法委員会の作成したニュルンベルク諸原則においても、上官命令抗弁は否認された。
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国際戦争犯罪裁判が行われなかった冷戦期を経て、1993年に設置された旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)では、個々の兵士には選択的兵役拒否の義務があると判断された(6)。戦争犯罪に加担するような命令には、自身の安全が脅かされようとも拒否することが求められ、一兵卒であっても、一般人とは異なり、死ぬことを覚悟しているはずであって、殺害される現実の可能性に直面していたという事実を過大視してはならないとされる。
2003年には、戦争犯罪についての管轄権を有する常設の国際刑事裁判所(ICC)が設立された。ICC規定33条は、「本裁判所の管轄に属する犯罪が、政府または軍民を問わず、上官の命令に従って行われた場合、行為者の刑事責任は、次に掲げる場合でなければ、免除されない。
「aその人が、政府または当該上官の命令に従う法的な義務を負っていた場合であって、bその人が、その命令が違法であることを知らなかった場合であって、かつ、cその命令が違法であることが明白ではなかった場合」と規定する。つまり、たとえ上官の命令に従ったのであっても、一人ひとりの行為者責任が厳格に問われるのである(7)。
このように国際法上は、違法あるいは人道に反する命令に対して、抗命義務を兵士に厳しく課している。兵士は、国家行為を遂行する上で、形式的には自らを拘束する国内法の法規範が実質的に上位の国際人道法に照らして違法でないかを、自らの責任において判断する義務を負う。つまり、たとえ兵士・軍人が国家機関として行為する場合であっても、個人としての責任は免除されない。
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