原発の町最後の行方不明者、小学一年生の木村汐凪さん(当時7歳)のことを知ったのは、家族が作った捜索チラシがきっかけだった。
「捜しています !! 大熊町で家族三人が行方不明です」
南会津町役場の掲示板に貼られていたチラシには、スナップ写真が組み込まれていた。精悍な顔つきの男性。おだやかに微笑む女性。そして、愛くるしい表情の女の子。私はとっさに、「これは大変なことだ」と思った。震災翌日に全町避難の指示が出され、バリケードで閉ざされた大熊町。そこで救助を待つ人がいるというのだから。
チラシに記してあった連絡先にダイアルすると、「今日は5時過ぎに避難所へ戻ります」と、張りのある男性の声が返ってきた。それが汐凪さんの父・木村紀夫さんとの出会いだった。
避難所には紀夫さんの母・巴さんと長女の舞雪さんもいた。紀夫さんのひげは伸び、疲労の蓄積を物語っていた。「一刻も早く家族の捜索に入りたいのですが、町の許可が降りなくて」とあせっている様子だった。
私たちの想像をはるかに超える放射能汚染という厚い壁。三世代6人で穏やかに暮らしていた家族を襲った悲劇は、あの日突然やってきた。(次の2回へ)
(※初出;岩波書店「世界」2017年4月号)
<筆者紹介>
尾崎 孝史(おざき たかし)
1966年大阪府生まれ、写真家。リビア内戦の撮影中に3・11を迎え、帰国後福島を継続取材。AERA、DAYS JAPANほかでルポを発表。著書に「汐凪を捜して 原発の町 大熊の3・11」(かもがわ出版)、「SEALDs untitled stories 未来へつなぐ27の物語」(Canal+)。
<<<(2)児童館から家へ帰ったところを津波に【尾崎孝史】
<<<(3)捜索中、原発事故で全町民に避難の指示【尾崎孝史】
<<<(4)捜索活動、避難先から通い続け【尾崎孝史】
<<<(5)がれきの中から見つかった、娘のマフラーと遺骨【尾崎孝史】
<<<(6)助けられたかもしれない命【尾崎孝史】
<<<(7)町は高濃度の放射能汚染地帯となり、捜索は遅れた【尾崎孝史】
>>>(8終)人々の記憶の中で生き続けていく汐凪【尾崎孝史】
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