原発から20キロメートルの道に設置されたバリケード。「許可なく立ち入ると罰せられる」と記されている。 (2012年3月3日 福島県広野町にて撮影:尾崎孝史)

 

◆警戒区域に指定、住民ですら許可なく立ち入ると処罰の対象に

町の災害対策本部では、行方不明者の捜索について協議した結果、翌朝5時半に消防団を招集し、捜索に入ることにした。

自衛隊は防衛大臣を本部長とする災害対策本部を設置。東北方面隊第6師団が福島県での活動を始めた。19時10分、第6特科連隊第一大隊は、地震のため住民8人が生き埋めになった白河市へ救助に入った。捜索活動が本格化しようとしていたその時、役場にあったテレビの画面が切り替わった。
 
「停止をした原子炉は冷やさなければなりません。この冷やすための電力についてですね、対応が必要であるという状況になっております」

NHKで枝野幸男官房長官(当時)による原子力非常事態宣言の中継が始まった。町の北東の隅にあった発電所は、世界が注目する舞台になってしまった。

電源を失った原発の状況は、刻一刻と深刻さを増していった。そして5時45分、全町民避難の指示が政府から町へ入った。

「町に避難指示が出た。いまは生きてる者の命が大事だぞ」 

捜索を続けていた紀夫さんに区長が促した。放射能が漏れ出した町に母と長女を留めておくのか。三人の捜索をあきらめるのか。究極の選択を迫られた紀夫さんは、母と長女が待つ避難所へ引き返し、町を離れた。

8時間後、1号機が爆発した。最後まで役場に残っていた職員は、「ドーン!」という音とともに赤みがかった灰色の煙を見たという。その2日後には3号機、3日後には4号機がたて続けに爆発し、町に高濃度の放射能が降り注いだ。

翌月、大熊町の全域を含む原発20キロ圏内は警戒区域に指定され、住民ですら許可なく立ち入るものは処罰の対象となった。境界には鉄製のバリケードが置かれ、自宅に近寄ることすらできない。区域周辺を捜索していた紀夫さんは、国道に設置されたバリケードに何度も行く手を阻まれた。

「バリケードを見たときは現実を突きつけられました。やっぱり家族を捜してやれないんだな、と。でも、その思いは私だけのことじゃないんです。あの頃、双葉署管内で1700人くらいの捜索願いが出ていたそうです。その方々も、みんな同じ気持ちだったので」(次の4回へ

(※初出;岩波書店「世界」2017年4月号)

<筆者紹介>
尾崎 孝史 おざき たかし 
1966年大阪府生まれ、写真家。リビア内戦の撮影中に3・11を迎え、帰国後福島を継続取材。AERA、DAYS JAPANほかでルポを発表。著書に「汐凪を捜して 原発の町 大熊の3・11」(かもがわ出版)、「SEALDs untitled stories 未来へつなぐ27の物語」(Canal+)。

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