元はピンク色だった汐凪さんのマフラー。発見時は泥にそまり、焦げ茶色になっていた。5年9カ月の長さを語る、あまりにも無残な証言者だった。

三度の爆発によって、高濃度の放射能汚染地帯となった大熊町。熊川地区の捜索は遅れ、5月下旬になってしまった。

捜索を担当したのは自衛隊だった。現場で立ち会った紀夫さんは、捜索期間は二週間だと聞かされていた。

「これだけの広さのところを二週間で捜索するなんて無理でしょう。いま振り返ると、一時帰宅に間にあわせるため、がれきを集積するのが目的だったのではないでしょうか。そうやって復興を急ぐというか、ちゃんと捜索をしてくれなかった国に対しても腹が立つ」

昨年12月26日現在、発見された汐凪さんの骨は42個。それでも、ほんの一部にすぎないという。がれきの移動にともなってバラバラにされてしまい、さらにその上に別のがれきが積み上げられた・・・。汐凪さんの発見がかくも遅れてしまった理由、それが少しずつ明らかになってきた。(次の8回へ

(※初出:岩波書店「世界」2017年4月号)

<筆者紹介>
尾崎 孝史 おざき たかし 
1966年大阪府生まれ、写真家。リビア内戦の撮影中に3・11を迎え、帰国後福島を継続取材。AERA、DAYS JAPANほかでルポを発表。著書に「汐凪を捜して 原発の町 大熊の3・11」(かもがわ出版)、「SEALDs untitled stories 未来へつなぐ27の物語」(Canal+)。

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<<<(4)捜索活動、避難先から通い続け【尾崎孝史】
<<<(5)がれきの中から見つかった、娘のマフラーと遺骨【尾崎孝史】
<<<(6)助けられたかもしれない命【尾崎孝史】
<<<(7)町は高濃度の放射能汚染地帯となり、捜索は遅れた【尾崎孝史】
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