◆トンデモ歴史観への同調は犠牲者と日本史の冒涜

東京・両国駅近くの横網町公園内にある「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」。追悼式典の2日後も花が供えられていた(9月3日撮影 加藤直樹)


1923年の関東大震災時、混乱の中で「朝鮮人が暴動を起こした」という流言蜚語が広まり、 朝鮮人が各地で虐殺された。東京・両国駅近くの都立横網町公園の一角には、その犠牲者を悼む碑(関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑)がある。この碑の前では毎年9月1日、民間主催で朝鮮人犠牲者追悼式典が行われ、都知事の追悼文が届けられてきた。ところが今年、小池百合子都知事がこれを出さないと決定したことが、大きな問題となっている。

きっかけは今年3月2日に古賀俊昭都議が都議会で行なった質問だ。この日、古賀都議は朝鮮人追悼碑の碑文や追悼式典の案内文に、「6000人に上る」朝鮮人が殺されたと書いてあることなどを問題視し、「今後は追悼の辞の発信を再考すべき」だと小池知事に迫ったのだ。これを受けて小池知事が追悼文送付を取りやめたのだという。

なるほど、たしかに虐殺された朝鮮人の数は確定できない。内閣府中央防災会議の専門調査会が2008年にまとめた「1923関東大震災【第2編】」では、朝鮮人、中国人、そして間違えられて殺された日本人の数について、千人から数千人と幅のある推定を示している。

しかし検証が進む近年まで、震災後に朝鮮人留学生10数人が関東全域を踏破して行なった調査に基づく「6000人」という数字が、歴史書や論文などで有力な推計として一般的に使われてきたのも事実だ。

「新しい歴史教科書をつくる会」の理事を務めた保守的な歴史学者である伊藤隆・東京大学名誉教授も、1989年に出版した本の中で「ほぼ6000人といわれる朝鮮人が殺された」と書いている。つまり、73年に建立された追悼碑に「6000人」と刻んであるのは、全く自然なことなのだ。
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