彼はシュハーダ地区の民家で爆弾の炸薬を調合する小さな製造施設で指導官をしていました。地元のシリア人のIS戦闘員にも爆弾製造を教えていたとのことで、自爆突撃に使う車両、ロケット砲など様々な爆弾を製造していたとのことです。
これまでISは給料を支払ってきましたが戦闘が激しくなった5月、6月と停止されたそうです。7月には地区が空爆されるなどしたため、地元住民と一緒に逃げたということでした。
彼は「一緒に『イスラム国』建設に携わりたいと思っていたが、私の信じるイスラムとは違い、宗教観に違和感を覚えた、後悔している」と話しました。釈放されてチュニジアに戻って両親に会いたいと言いますが、それは難しいでしょう。現在の生活について聞くと「刑務所ですから…」と言ってうなだれていました。(つづく)【玉本英子】
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