シリア国内には、いくつもの難民キャンプがある。国連などが支援しているが、そうした場所もいつISが侵攻してくるかも分からず、難民たちは安全を求めて国外への脱出を目指す。だが、脱出できても仕事のあてもなく、言葉も分からず、国外でも過酷な生活が待ち受けている。(2014年9月ハサカ県で撮影・玉本英子)
シリア国内には、いくつもの難民キャンプがある。国連などが支援しているが、そうした場所もいつISが侵攻してくるかも分からず、難民たちは安全を求めて国外への脱出を目指す。だが、脱出できても仕事のあてもなく、言葉も分からず、国外でも過酷な生活が待ち受けている。(2014年9月ハサカ県で撮影・玉本英子)

しかし、辺りは真っ暗で、民家などありません。警察も人影もない。着いた島は、わりと大きな島のようでした。私は、携帯電話に自分の位置を知るGPS機能 がついていましたので、村の場所を探し、まずはそこを目指すことにしました。海を渡ることに比べたら、歩くことはたいしたことではないと感じていました。 島には森があり、私たちは一列になって山道を歩きました。

そして、7時間歩き続けました。休むことなく、歩き続けたのです。私は荷物を背負い、娘を抱いていたので、疲れきってしまいました。山は舗装された 道もなく、険しい山道に足をとられました。私は足の裏にケガをして、歩き続けるのが限界になりました。その時、ようやく村が見えてきました。

ギリシャの警察官がいたので、私たちのほうから助けを求めました。警察に出会えればもう安心だ、と思いました。彼らは私たちが難民だと、すぐに分かったようです。向かった小さな警察署の部屋には他の難民のグループがいました。

私は警察官に、どうやってアテネに行くことができるのかと訊ねました。しかし警察官は「自分たちは何もすることができない」と答えるだけです。私は 「とにかくアテネに行く方法を教えてください」とお願いしました。警察官は、ナタリーニアという町に行きなさいと言いました。ナタリーニアは小さな町で、 ここから40キロ先にあるということでした。警察官は私たちに付き添ってくれるわけではないので、自分たちで歩いて行かなければなりません。

それまで7時間歩き通しだった私たちは、みんな疲れきっていました。そこからさらに50キロ近い道のりを、子どもを抱えて歩くというのは、大変なこ とです。私たちは、村の小さな一角で休息し、夜に出発することにしました。道行く車に声をかけましたが、警察が難民を乗せないよう通達しているようで、車 に乗せてもらうことはできませんでした。

休息後、私たちは再び歩きはじめました。1キロほど歩いたのち、タクシーが通ったので乗せてほしい、とお願いしてみました。ドライバーは「警察には 黙っていてくれ」と言って、私たち家族と知人の合計7人を、タクシーに乗せてくれました。1人あたり100ユーロということでしたが、結局お金もとらずタ ダで乗せてくれたのです。そうして、私たちは無事ナタリーニアにつきました。しかし、ここで見たのは、難民登録のために順番待ちをする人たちであふれ、世 界中から集まった難民どうしが争う姿でした。(つづく)
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