2015年9月、武装組織イスラム国(IS)の包囲が続くシリア北西部のコバニからドイツへ脱出したアル・バヤン紙の元特派員フェルハッド・ヘンミ記者(31)と家族は、トルコ西部の海辺からゴムボートで海を越え、ギリシャの島に上陸、小さな町ナタリーニアにたどり着く。そこは世界中から難民認定を求める人びとであふれていた。難民として書類手続きの順番待ちで大混乱になっていた。電話でのインタビュー記事を、今回、アーカイブとして掲載する。【聞き手:玉本英子】
(※2015年初出のアーカイブ記事。情報等は当時のまま)
◆ストレスから難民どうしで いさかいも
やっとのことで、ギリシャ・ナタリーニアの町に着いたのですが、そこは難民としての書類記入手続きをする人びとであふれていました。まずは順番待ちをしなければなりませんでした。果てしない人の波に、何日待てばよいのかも分からず、不安でたまらなくなりました。私たちは身分を証明するものなどなく、ギリシャにとっては「違法入国者」の扱いです。そのためホテルなどに宿泊することもできず、順番待ちのあいだ、家族は森の中に滞在することになりました。
そこは森のキャンプ場のような場所でしたが、テントも何もありません。家族で野宿生活をしました。難民への配給品などもなく、すべて自分たちで調達する必要がありました。私は食料などを、町のスーパーで買いましたが、シリアやトルコに比べ物価は高く、つらかったです。難民の中には「状況を改善してほしい、幼い子どもたちだけでもなんとかしてほしい」と切実な声をあげる人たちもいました。
待ち続けて1週間後、私たち家族に、書類の手続きをしてもらえる順番がきました。そして、ようやく書類が発行されることになりました。この書類で私たちは「非合法」ではなくなりました。それがすむと、アテネ行きの移送船に乗ることになりました。アテネまでおよそ8時間の船旅です。
移送船から、青い大海原を見渡した時、東(アジア)と西(ヨーロッパ)の境界線に来たことを実感しました。そして「東よ、さようなら!」と心の中で叫びました。よく文学的な表現で、そういう言い方があるのですが、まさか自分がそういう思いになるなんて...。嬉しい気持ちになる反面、故郷コバニをあとにして、いつ戻れるのか分からないかと思うと、悲しさがこみあげてきました。
アテネには私の叔父が暮らしています。私たちは彼の家に泊めさせてもらい、2日後、マケドニアを目指すことにしました。ナタリーニアで知り合ったコバニ出身の家族たちもあわせて、計14人での出発です。(つづく)
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