群馬県藤岡市の成道寺で行われた「関東大震災朝鮮人犠牲者94周年慰霊祭」。犠牲者名が刻まれた慰霊碑に手を合わせる参加者(新聞うずみ火 2017年9月2日)

関東大震災での朝鮮人虐殺の史実を後世に伝えようとする市民がいる一方、それを「事実無根」「反日」であるとして、攻撃のターゲットにする勢力もいる。だが、いまも遺骨を探し続ける遺族にとって、94年目を迎えた今も、事件は終わっていない。(新聞うずみ火 矢野宏/栗原佳子)

暴徒は住民・自警団

9月2日、群馬県藤岡市の成道寺でも「関東大震災朝鮮人犠牲者94周年慰霊祭」が行われた。都心から約80キロ離れたこの地でも9月5、6日の2日間で17人が惨殺された。「藤岡事件」と呼ばれる。

虐殺は関東全域で起きた。避難民とともに流言が広がり、地方の新聞がそれをさらに拡散した。埼玉では、警察に保護・検束され都内から群馬方面に移送途中の朝鮮人が県北部の熊谷市、本庄市、上里町などで相次いで自警団に襲われる事件が起きた。犠牲者は240人を超すという。

埼玉の事件はすぐ県境を越えて群馬にも伝わり、旧新町(現・高崎市)の土木業者は藤岡警察署に朝鮮人の従業員ら17人の保護を求めた。しかし自警団や住民が暴徒化し署内に乱入、無抵抗で命乞いする朝鮮人を虐殺した。

慰霊祭は日朝友好連帯群馬県民会議と8月に結成された「藤岡事件を語り継ぐ市民の会」が共催。ここでも参加者からは、小池知事批判が相次いだ。「市民の会」世話人の新島都さんは「歴史的事実にふたをし、加害の事実を葬り去ることは許されない。事件の真実を知り、民族差別や集団心理の恐ろしさから目をそむけず、亡くなった方たちの無念を伝えていきたい」と誓った。

当時の警察署は成道寺に隣接。震災翌年、住民や当時の警察署長らが慰霊碑を建立した。裏面には17人の本名が刻まれている。犠牲者が特定された極めて稀な例。一人については、韓国の遺族にたどりついたという。

一方、群馬では県立公園「群馬の森」(高崎市)内の追悼碑に対する攻撃が続く。戦時中の強制労働で死亡した朝鮮人を悼み、県民会議などからなる市民団体が04年に設置。それを「反日」だとして、ターゲットにしたのが「そよ風」だった。結果的に県議会が、設置許可を取り消す陳情を採択、県も撤去方針を決めた。市民団体は県を提訴、係争中だ。
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