東日本大震災による原発事故で住民が避難を余儀なくされた福島県の市区町村では、無人の家屋の整備や、避難指示解除に伴う帰還準備等、いまも被災住民への支援活動が続いている。南相馬市に拠点を置くボランティア施設を訪ねた。(大村一朗) 記事の(上)から読む >>
◆「帰るのか」と聞かないで
「ここから原発20キロ圏内に入ります。ご覧の通り、この先の田畑は震災以降、手付かずのままです」
南相馬市の中心街・原町区から小高区に向かうのどかな県道を視察バスは進む。南相馬市のボランティア施設「カリタス南相馬」のスタッフが車窓の風景を説明してくれる。
「一部、除染で土を入れ替え、試験的に使っている田んぼもあります。でも、このあたりの一番の問題は水源です。山は除染できませんから。水源が汚染され、ダムの水も汚染されたままです。稲作にとって非常に大きな問題です」
雑草に覆われた田畑が広がる山間の道を抜け、バスは小高区に入った。昨年7月に避難指示が解除されたが、田畑同様、多くの家屋がまだ無人のままだ。
バスは町中のある施設の前で停車した。住民交流スペース『おだかぷらっとふぉーむ』。静まり返った町の中、そこだけにひときわ活気とぬくもりが感じられた。施設の代表・廣畑裕子さんが迎えてくれた。
廣畑さんは、自身の津波被災と仮設住宅での体験をDVD映像にまとめ、ここを訪問する人たちに見せながら、小高への思いやこの町の現状を説明してくれる。その中で廣畑さんは、「みなさんに一つお願いがあります」と切り出した。
「福島では次々に避難指示が解除され、マスコミからはさかんに帰還率という言葉が聞かれます。ですが皆さん、どうか避難している方に会っても『帰るのか』とか『帰ったのか』とか聞かないでください」
6年間という避難生活がどれほど長いものか。その中で一人一人がいかに過酷な取捨選択を迫られてきたか。避難指示は解除されたが、帰る帰らないの判断は人それぞれ異なる。それを考えもせず帰還を問うのは、「小高区出身の大学生に卒業後は小高で就職しろと決めつけるようなもの」だと言い、次のように締めくくった。
「どれだけ帰ってくるかではなく、小高を好きな人が一人でも増えてくれれば、それでいいんです」
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