何時間後だったのか覚えていませんが、やっとウィーンに到着しました。私たち難民は、広いホールのような所に案内され、そこで、やっと子どもたちを着替えさせることができました。みんなオーストリアにたどり着くまで、まともに睡眠もとっていませんでしたから、疲れきっていました。食事を出してもらったときは、ありがたさで、涙がこぼれそうになりました。

オーストリアとドイツの政府は、難民のために対応をしてくれました。そこでドイツのどの都市に行くのか、振り分けられるのですが、私たちはウィーンからミュンヘンへ列車で移動し、最終目的地はドイツ西部の町になりました。合法的な形で列車に乗ることができました。

そしてオランダ国境の近くにあるドイツ西部の町に着きました。難民約300人が体育館のようなホールに入れられ、そこに一週間ほど収容されました。健康診断や子どものケア、難民としての聞き取り調査や審査がありました。そして次に別の大きな収容施設へと向かいました。そこで5日間、過ごしました。
私たち家族は、この町に留まることになりました。シリア・コバニを出て、すでに3週間近くがたっていました。このとき、初めて自分というものを見つめなおす心の余裕のようなものができました。

これまでの道のりは、家族にとっても、非常に過酷なものでした。東(シリア)から、ひたすら西(ヨーロッパ)を目指したのですが、これから「西」で生きていくとしても、自分の中では生まれ育った地である「東」を、その文化、生い立ちを決して忘れることはできないのだと改めて感じました。
収容施設には、あふれんばかりの国籍も分らない人たちが、毎日途切れることなく、やってきていました。それでも、ドイツの民間支援団体は、熱心に支援活動をおこなっていました。私は、かれらが活動する姿に胸を打たれざるを得ませんでした。(つづく)
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