ドラケンスバーグ少年合唱団の公式ウェブサイトには、94年以前から混声による合唱を続けてきたことも、コンサートを中止せざるを得ないことがあったことも、一切記されていない。毅然と貫いてきたこの合唱団の歴史をぜひ語ったほうがいいと、私は何度か同合唱団関係者に話してみたが、やんわりと笑みを返されるだけだった。わざわざ負の感情を呼び起こすようなことはしなくてもいい。辛い歴史に抗った過去を開陳してまで名を知らしめることはしたくない。彼らはそう考えているのかもしれない。
リハーサル中のホールで学生を見渡してみると、黒人と白人の数がほぼ同数であることに気づく。同数になるようマネージメントしているのかと、スティーブンに聞いた。
「オーディションでのポイントは、声です。声だけで、選んでいます。その結果が、自然と、この配分になっています。それ以外の要素はありません。」
私の意地悪な質問に、顔色も声色もまったく変えることなく、彼はこう答えた。
歴史に加えてもうひとつ、私は、ドラケンスバーグ少年合唱団学校について気になっていたことがあった。
同学校が構えるのは、ドラケンスバーグ山脈の中腹にあるウィンタートンという人口6000人ほどのひっそりとした小さな町だ。ウィンタートンへは、南ア経済の中心地ヨハネスブルグからも、同国の主要な港町ダーバンからも、自動車で3〜4時間ほどかかる。その他の交通手段はない。ドラケンスバーグ山脈周辺はドラケンスバーグ地方と呼ばれており、ウィンタートンはその中心部となる町だが、ここに暮らす人々はこの地を、ウィンタートンと言うよりもドラケンスバーグと呼ぶ人が多い。
この小さな町に構える合唱団が毎週開催する水曜コンサートを聞くために、海外からの観光客が絶え間無く訪れている。商業面を考えれば、ヨハネスブルグやダーバン、ケープタウンなど、よりアクセスのいい場所へと学校を移したほうがいいはずなのに、なぜこの地に居続けるのだろうか。
「それはいい質問ですね。いい質問です」
同校のアンドリュー校長は、私の問いに「いい質問」と2度続けたのち、こう話しはじめた。
「私たちは、自立していることが最も大切なことだと考えています。誰かに頼れば、例えそれが子どもたちの成長に望ましくないことであっても、その人の声を受け入れなければなりません。この学校は、学費と寄付金だけで成り立っており、いかなる企業や団体とも関わりなく存続してきました。経済的に自立し続けるためにも、私たちは水曜コンサートを開催しています。」
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