学園や理事会のような、同校の経営基盤となるような組織が背部に控えていることはないのかとも聞くと、この学校はあなたの目に見える範囲のものがすべてだと彼は答えた。また、校長自身は音楽の専門家ではなく、同校には長く一般科目の教師として携わってきたのだったとも。この学校での要職は持ち回り制で、同校の教師の中から選抜して決められることとなっている。
「例えばケープタウンとか、例えばヨハネスブルグとか、大きな町のそばへと移転することも考えたことがないわけではありません。そのほうが、今よりもずっと多くの観客を期待できますし、ビジネスという観点から考えれば、そうするべきでしょう。しかし、ここは学校です。子どもたちのことを、一番に考えなければなりません。」
校長先生は、話を続けた。
「ドラケンスバーグ地方には、子どもたちにとって素晴らしい環境が整っています。大きな町にあるような誘惑もなく、美しい自然が周囲に広がり、人々の生活を身近に感じることができます。これは、大きな都市やその周辺部にはない、他に変えがたいものです。幸いなことに合唱団の名は知られるようになってきましたが、まだまだ経済的に楽観できる状況にはありません。ですが、その(ビジネスの)ために移転するような状況には至っていません。私は、この学校にとって、ドラケンスバーグが一番ふさわしい場所だと考えています。」
マーケティングマネージャーのスティーブンも、校長先生のアンドリューも、この学校の先生たちはみな、物腰の柔らかい人ばかりだった。偉ぶる人には、ひとりとして出会うことはなかった。合唱団の歌声を私がどれだけ讃えても、やんわりと微笑まれるばかり。「そんなに有名でもないんですよ。南ア国内では知名度が下がってきています」と語る人もいた。
しかし同時に、毅然とした誇りも、常に感じ続けてきた。少年たちの毅然と胸を張った歌声には、この先生たちが内に抱く哲学が、無言のうちにも投影されているのかもしれない。
ここが一番ふさわしいと校長先生が語るドラケンスバーグとは、どんなところなのだろう。私は、この地を広く知る人物を訪ねた。(つづく)
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