◆石油が出る町なのに、なぜ私たちは苦しく貧しいままなのか
9月末、イラク北部クルド自治区は熱気に包まれていた。自治区独立を問う住民投票が迫っていたからだ。街頭のいたるところにクルディスタンの旗がなびく。
イラク最大規模の油田を抱えるキルクーク。自治区域外だが、クルド住民が多く、自治政府が管轄権を主張してきた都市だ。ここでも住民投票が実施されることになっていた。
投票日の前日、町に入った。市内の店の多くがシャッターを下ろし、大通りでも人の姿は少ない。投票に反対する爆弾テロを警戒し、人々が外出を控えていたためだ。
商店で働くクルド人男性、レバズ・ニハッドさん(22)は、独立に賛成という。「イラク政府は信用できない。いつまた迫害されるかわからない」。レバズさんは、両親とともに10年前に東部の町からキルクークに戻って来た帰還住民だ。旧政権下、中央政府は町の人口比を変えるため強制移住政策をとった。民族意識の強かったクルド人は、体制にとって脅威とみなされた。政府はクルド住民を数百キロ離れたへき地に追放し、同時に南部からアラブ人を移住させた。
フセイン政権崩壊後、クルド人の帰還事業が始まった。支援金1000万イラクディナール(約75万円・当時)が給付されたが、強制移住当時の書類が提出できない住民は支援を受けられなかった。かつて取材した帰還民の主婦はキルクークに戻ってきたものの生活が困窮し、途方に暮れていた。「石油が出る町なのに、なぜ私たちは苦しく、貧しいままなのか」
1980年代末には、フセイン政権がクルド人の反政府勢力弾圧を目的としてアンファル作戦を展開。集団殺りくや村の破壊などで、数万人が犠牲となったとされる。ハラブジャで毒ガス兵器が使われ、住民5000が殺害される事件も起きた。中央政府による弾圧と迫害にさらされ、土地や豊かな資源まで奪われてきたクルド人の怒りや反発が、独立への強い思いにつながっている。
一方、キルクークを構成するアラブ人やトルコ系住民(トルクマン)には、イラク残留を求める声が少なくない。クルド勢力が新たな統治者となることへの懸念に加え、コミュニティーに民族分断が持ち込まれることに不安が広がっている。
アラブ人の学生、アハメット・シャハブさん(25)は「この町は民族や宗派を越えて結婚し、親戚関係の家族も多い。学校で机を並べた同級生もいる。そこに線引きがされる思いです」。
イラク戦争後、キルクークでは爆弾テロが絶えず、レストランや小学校まで狙われた。2014年、過激派組織「イスラム国」(IS)が台頭し、政府軍が各地から敗走するなか、自治政府はクルド部隊をキルクークに送り、防衛線を敷いた。だが、独立問題をめぐって中央政府と自治区の対立が先鋭化すれば、治安が不安定になり、テロが頻発しかねない。
投票日を前にスーパーには行列ができていた。テロを恐れて家にこもるため、10日分の食料を買い込みに来たという50代の主婦は言った。「独立には賛成だが、人が死ぬのはもういや」【玉本英子】
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2017年10月17日付記事を加筆修正したものです)
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