ISが去ったイラク・シンジャル南部地域。だがISが仕掛けた多数の地雷で帰還住民の負傷があいつぐ。ズマルくん(13)は爆発で大けがを負った。(10月カニヤアブデ村にて撮影・玉本英子)


◆仕掛け爆弾、被害相次ぐ

イラク北西部、シリア国境にほど近いシンジャル一帯は少数宗教ヤズディ教徒が暮らしてきた。3年前、過激派組織「イスラム国」(IS)は町を襲撃、イスラムに改宗しない男性を殺害したうえ、女性を拉致した。数万人におよぶ住民が家を捨て、隣のクルド自治区などに避難した。その後、クルド勢力がシンジャルをISから奪還したものの、近郊では砲撃が続き、帰還をためらう人が少なくなかった。

今年10月、私は再び現地に入った。戦闘で家屋の8割が破壊され、壁には銃弾の痕が無数に残っていた。

ISは町を去る前、建物に爆弾や地雷を仕掛けていった。市内からはほぼ除去されたが、郊外は手付かずのままだ。いまも地雷による被害があとを絶たない。つい先日も近郊のカニヤアブデ村で、子ども3人が負傷した。村に向かうと、爆発でけがをしたズマル・シェモくん(13)はベッドに横たわったままだった。
「羊を放牧していたら、ドンという音が聞こえて気を失った」。重傷の弟2人は病院に運ばれた。母親は「ISがいなくなったのに地雷におびえなければならないなんて」と悲痛な表情を浮かべた。

◆引き裂かれた隣人関係

シンジャルにはこれまでに1500世帯以上のヤズディ住民が戻った。一方、イスラム教スンニ派の人も町に暮らしていたが、彼らは帰還できないでいる。ヤズディ教徒の一部から「ISと同じスンニ派は裏切り者」とみなされているからだ。3年以上避難生活を送っているスンニ派男性(32)もISの被害者だ。だが「近所からの報復が怖くて戻れない」と話す。

彼のいた地区にはヤズディ住民10世帯がスンニ派の空き家に入り込んで仮住まいをしていた。ハディ・シェモ・ヒトさん(52)は憤る。
「イスラム教徒が信用できなくなってしまった。もう共存はできない」。ISは去ったが、隣人関係は引き裂かれ、人びとの心に深い爪痕を残していた。

シンジャル奪還戦ではクルド自治区のペシュメルガ部隊とクルド労働者党(PKK)が協力した。ところがISを追い出したとたん、両勢力が地域の主導権をめぐって対峙(たいじ)する状況となった。一方、町の南部一帯に展開するシーア派主導の民兵部隊に入隊するヤズディ教徒の若者があいついでいる。1カ月の給料50万ディナール(約4万5000円)は、ペシュメルガ部隊よりも多く、この数カ月で2000人が加わったという。「破壊された町では生活が立ち行かず、家族を養うため」と彼らは口をそろえた。

9月末にクルド自治区がイラクからの独立を問う住民投票を実施すると、イラク政府は反発し、クルド自治区の影響下にあったシンジャルに民兵部隊を送り込んだ。ISに苦しめられたヤズディ住民。こんどは各勢力の思惑のなかで翻弄(ほんろう)されている。【玉本英子】

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2017年11月14日付記事を加筆修正したものです)

イラク北西部シンジャル市は2015年11月に解放された。だが現在も町の8割が破壊されたままで住民の帰還は進んでいない。(2017年10月シンジャル市内で撮影・玉本英子)

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