(参考写真)「大阪都構想」の賛否を問う住民投票で配られたチラシ。(2015年5月撮影栗原佳子)

「政治の幅はつねに生活の幅より狭い。本来生活に支えられているところの政治が、にもかかわらず、屡々(しばしば)、生活を支配しているとひとびとから錯覚されるのは、それが黒い死をもたらす権力をもっているからにほかならない。一瞬の死が百年の生を脅し得る秘密を知って以来、数千年にわたって、嘗(かつ)て、一度たりとも、政治がその掌(てのひら)のなかから死を手放したことはない」(埴谷雄高『幻視のなかの政治』未来社、1963年)

埴谷雄高といえば難解さで知られる思想家だが、ここで言っていることは難しくない。人々の日々の営みによって支えられているはずの政治権力が、それでも人々を支配できるのは、彼らが「お前、殺すよ」と人々を脅す力を持っているから、ということだ。埴谷は戦前、治安維持方違反で逮捕されたことがあるから、実感がこもっている。

久々にこの一節を思い出したのは、今回の選挙に際して、「選挙に行かなくても、子どもと遊んだり、職場の働き方を考える一日にすればいい」とか、「今回の解散総選挙はまるで独裁国家の信任投票だ。馬鹿げているから棄権しよう」といった言葉が、知識人の中から飛び出してきたことに驚かされたからだ。
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