◆72年の本土復帰から昨年までに沖縄で発生した米軍機関連の事故は709件
10月26日、北部訓練場のメインゲート前で、緊急の抗議集会が開かれた。遠隔地、しかも選挙中にもかかわらず、約200人が参加、抗議の声を上げた。(栗原佳子/新聞うずみ火)
高江の住民でつくる「ヘリパッドいらない住民の会」の安次嶺現達さんは
「毎日騒音に悩まされ、いつ落ちるかわからないヘリがついに落ちてしまいました。沖縄全体がそういう恐怖に苦しみながら生活しなくてはならない。しかも事故の翌日も訓練が続いています。明日落ちるかも知れません。原因究明とかではなく、出て行ってもらうしかありません」。
安次嶺さんの家は高江の中でもヘリパッドに近い。夜間も訓練は続き、子どもたちが不眠に苦しめられるなどして、隣村への避難を余儀なくされた。
昨年12月、名護市安部の浅瀬にオスプレイが墜落・大破した。安部の隣の集落に暮らす「二見以北10区の会」の浦島悦子さんは
「いまも安部の湾は細かくなった残骸がいっぱいあります。米軍は戒厳令のようにして軍事機密に関わるものだけさっさと持って行ってあとは知らんぷり。どんな有害物質があろうがおかまいなしです。今回の事故もそうなるのでは」と懸念を示した。
72年の本土復帰から昨年までに沖縄で発生した米軍機関連の事故は709件。このうち墜落事故は47件にのぼる。04年には沖縄国際大の本館建物にへりが墜落炎上。復帰前の59年、石川市(現うるま市)の宮森小学校に戦闘機が墜落した事故では、児童11人を含む18人が死亡、210人の重軽傷者を出した。
市民グループ「平和市民連絡会」の伊波義安さんは「今回の事故を知り石川高校3年のときのことが頭をよぎった」という。
「煙を吐いて落ちていくジェット機を見て6、7人で現場へ走りましたが、まるで戦場でした。一緒に来たクラスメートの家が裏門にあり、行ってみると跡形もなく焼け彼が泣いている。お母さんが亡くなったと。何とも言えない怒りがこみ上げました。事故は起こるべくして起きた。基地があるからには必ず起こるのです」と言葉を震わせた。
座り込みに参加する支援者でつくる「高江ヘリパッド反対現地行動連絡会」共同代表の仲村渠政彦さんは「日米地位協定のもとでは日本側は何ら米軍に対してコントロールができません。しかも、やんばるは、沖縄全島の水がめです。北部訓練場の全面返還・基地撤去しか解決策はありえない」。
ヘリパッド建設反対の抗議行動は07年から続いているが、高江の人々は復帰前から空と陸の訓練に苦しめられてきた。集会では高江区の仲嶺久美子区長の手書きのメッセージも紹介された。
区長は事故発生の夜、菅官房長官から直接電話を受けていた。「何でもします」と。
「再三、集落上は飛ばないでと抗議し続けたのもむなしく、この現実をつきつけられ、ショックを受けています。これまでの行動がなんだったのだろうと……」。
同型ヘリは事故から1週間、18日に飛行再開した。安全が確認されるまでの飛行停止を米側と約束したとする防衛大臣にも説明がないままだった。20日、規制線が外され西銘さんが見たのは変わり果てた牧草地。残骸を撤去した米軍は周囲の土を掘削、大型トラック5台分も持ち帰っていた。
県外に住む私たちは、無関心でいいのだろうか。(了) 【栗原佳子/新聞うずみ火】