改装される前の「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)。被害と加害の両面から戦争の実相に迫る平和博物館の先駆けとして知られた。【撮影・新聞うずみ火】

◆被害と加害の両面から戦争の実相に迫る平和博物館の先駆けだった

一昨年、日本軍の加害に関わる展示を撤去し、大阪空襲に特化する施設に全面改装した「大阪国際平和センター」(ピースおおさか、大阪市中央区)。この改装をめぐり市民団体の男性が大阪市を訴えた情報公開訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は一審判決を破棄し、男性の訴えを認める逆転判決を言い渡した。審理の中で浮かび上がったのは、強権的な首長の下で平和博物館の設置理念が骨抜きにされていく姿だった。 (栗原佳子)

東洋一の兵器工場「大阪砲兵工廠」の跡地、大阪城公園にある「ピースおおさか」。1989年に大阪府と市が共同出資して財団を設立、91年にオープンした。

“1945年8月15日に至る15年戦争において、戦場となった中国をはじめアジア・太平洋地域の人々、また植民地下の朝鮮・台湾の人々にも多大の危害を与えたことを私たちは忘れません。“

このような設置理念に基づき、「大阪空襲と人々の生活」「15年戦争」(満州事変~太平洋戦争)「平和と希求」の3ゾーンで構成。被害と加害の両面から戦争の実相に迫る平和博物館の先駆けとして知られた。

一方で、90年代後半から保守系団体などから「自虐」「偏向」などと攻撃を受けてきた。危機は2008年、橋下徹氏の府知事当選を契機にした「維新政治」によってもたらされることになる。

橋下氏は府知事就任まもなくピースおおさかを視察。府職員の出向を問題視して、派遣職員を引き上げた。補助金も大幅カット。最終的には事業費全額をカットした。

橋下氏はその後、市長に鞍替え。ダブル選となった府知事選では橋下氏率いる地域政党「大阪維新の会」の松井一郎氏(元自民府議)が当選した。2人は揃って人権博物館「リバティおおさか」との統合案や、近現代史を両論併記で学ぶ教育施設を建設する案などをぶち上げた。
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