自身の私設観光案内所のデスクに座る、クリス。ウィンタートンの、街の顔となる方。(ウィンタートン・南アフリカ 2017年/Winterton, South Africa 2017 撮影:岩崎有一)

ドラケンスバーグ地方の中心地ウィンタートンの中心部には、一軒だけ、大型スーパーマーケットがある。南アのスーパーやショッピングモールでは、物々しい銃器を携えた警備員が警戒をしているのが一般的な光景だが、ここでの警備はひとりだけで、周囲に睨みを利かしているようなことはなく、ぼんやりと壁に寄りかかっているだけだった。田舎だから、人口が少ないからだと言ってしまえばそれまでだが、それにしても、町でも村でも、黒人社会でも白人社会でも、ドラケンスバーグは穏やかなところだ。

ズールー語を巧みに話す、ボーガンの息子。彼の前に座る女性は、彼のフィアンセだ。(バーグビル・南アフリカ 2017年/Bergville, South Africa 2017 撮影:岩崎有一)

ウィンタートンの隣町バーグビルでは、郊外でコテージを営むピッチョーニ一家を訪ねた。

ご主人のボーガンが、車でバーグビル周辺一帯を案内してくれた。ゆっくりと車を走らせながら、彼はすれ違う人たちに、手をあげたり声をかけたりと、常に挨拶を絶やすことはなかった。すれ違う相手が黒人ならば、ズールー語で声をかける。丁寧な挨拶に驚いたことを話すと、「これが、ここでのやり方です。ここはアフリカですから」と、彼はさらりと応えた。

ドラケンスバーグのトレッキングで私を導いてくれたのは、ボーガンの息子だった。彼もまた、ズールー語を巧みに操る。トレッキング道の入り口で門番をする男性は、驚いていた。

「彼が話すズールー語は、私たちが話すものと全く変わらない。驚いたよ。あんなにきれいにズールー語を話す白人と出会ったのは、初めてです。彼は素晴らしい。」

夜、一家と夕食を囲みながら、過去の歴史と政治の話になった際、ボーガンは、こう言っていた。

「ネルソン・マンデラは、すごい人でした。彼には、他者に対する敬意が常にありました。簡単なことではありません。私は、彼を尊敬しています。」

ドラケンスバーグの穏やかさは、他者に対する敬意が広く共有されていることによって維持されているのかもしれない。

コテージを営むボーガン。明るく、力強く、明晰な方だった(バーグビル・南アフリカ 2017年/Bergville, South Africa 2017 撮影:岩崎有一)

バーグビルにおける白人の人口構成比は19パーセントほど。ウィンタートンにおいては3パーセントにすぎない。にもかかわらず、大規模農場、商店、宿泊施設、レストラン、警察署、案内所など、表立った施設を訪ねた際に前面に出てくる人は、白人が圧倒的に多い。

ただ、抑圧感を感じることは、ほとんどない。ここでは、黒人社会と白人社会が、別個に存在しながらも、なだらかに共存している。

ドラケンスバーグ少年合唱団学校の校長アンドリューは、ヨハネスブルグでもケープタウンでもなく、このドラケンスバーグが、少年の育成に望ましいと話していた。今回の滞在を通して、校長がこの地に居続ける理由が、私にも少しわかったような気がした。

ドラケンスバーグ少年合唱団学校のサネレ先生。ズールー語を担当(ウィンタートン・南アフリカ 2017年/Winterton, South Africa 2017 撮影:岩崎有一)

私がドラケンスバーグ少年合唱団に強く関心を持ったのは、アパルトヘイトの時代から、黒人と白人による混声の合唱を続けてきたことを知ったからだった。合唱団に向けた関心の抱き方も、「混声」という言葉の使い方も、いずれも斜に構えたもので、自分がちょっと嫌になる。
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