◆厳しく退けられた「証言否定」
昨年12月から公開中の『否定と肯定』というイギリス映画が話題を呼んでいる。ナチスドイツのユダヤ人大量虐殺、いわゆる「ホロコースト」について研究するアメリカの歴史学者デボラ・E・リップシュタットが、虐殺の史実を否定するイギリスの学者デイヴィッド・アーヴィングについて「史実を歪曲し、文書を改ざんし…データに間違った解釈を施す男」と痛烈に批判したことで、アーヴィングに名誉棄損で訴えられるというストーリー。実話である。

夏淑琴裁判の判決を伝える報道記事

イギリスでは、名誉棄損の裁判において立証責任は被告側にある。リップシュタットと弁護士たちは、アーヴィングが差別主義者であり、史実を歪曲していることを法廷で証明しなければならなくなった。『否定と肯定』は、スリリングな法廷劇を通じて、負の歴史に向き合うことの意味を問いかけてくる。

ところで、この映画を地で行くような裁判が、日本でも行なわれたことをご存知だろうか。「夏淑琴裁判」である。ただし、名誉棄損をめぐる構図は逆だ。

裁判の原告となったのは中国人女性の夏淑琴さん。彼女は日中戦争時の1937年12月、日本軍が当時の中国の首都・南京とその周辺で多くの捕虜や民間人を虐殺した「南京事件」の生き証人だ。当時8歳だった彼女は、同居していた家族のうち7人を、自宅を襲った日本兵に虐殺され、自らも銃剣で突き刺された。その証言は当時、アメリカ人宣教師が残した記録にも裏付けられている。彼女は、そのつらい経験を人々の前で語ってきた。

ところが、「南京虐殺はなかった」と主張する東中野修道・亜細亜大学教授が、その著作の中で、宣教師の記録を翻訳し、検証した結果として、記録に登場する少女と夏さんは別人だと主張したのである。つまり夏さんはニセの被害者だというわけだ。これは、家族を目の前で殺された夏さんにとっては耐え難いことであった。彼女は2006年5月、東中野教授とその著作の出版社を名誉棄損で訴える。

裁判の大きな争点は、東中野教授の「検証」に果たして真実性があるのか否かであった。原告側、つまり夏淑琴さん側は、東中野教授の立論の破たんを明らかにしなければならなかった。彼らは東中野教授の翻訳に注目する。キーワードとなったのは宣教師の記録に出てくる「bayonet」という単語だ。この言葉には、銃剣で「突き刺す」と「刺し殺す」の二つの意味がある。原告側は、この「bayonet」から始まって、東中野教授の翻訳の不自然さや矛盾を明らかにしていったのである。 詳しくはこの裁判などについて報告した『南京大虐殺と「百人斬り競争」の全貌』(金曜日刊、09年)を読んでいただければと思う。

07年11月2日、判決の日を迎えた東京地裁前には、「南京虐殺はなかった」と主張する人々が集まり、裁判所に入っていく夏さんに詰め寄って「ウソつき中国人、夏淑琴!」「いつまで稼ぐんだ!」「日本人に謝れ!」と罵声を浴びせたそうである。映画『否定と肯定』でも、入廷するリップシュタットに「薄汚いユダヤめ!」と罵声を浴びせるネオナチの男が出てきたのを思い出す。

だが判決は、夏淑琴さんの勝利となった。東京地裁は東中野教授と出版社に400万円の支払いを命じ、判決文では「(被告の)指摘は真実ではなく、原告の名誉を著しく毀損した」「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しない」とまで厳しく指摘したのであった。裁判はその後、最高裁まで続けられたが、09年2月に東中野教授の上告が棄却され、原告側勝訴の判決が確定している。判決を受けて夏さんは、「勝訴できてうれしい。私をニセ被害者と決めつけることは、南京大虐殺の被害者全員を否定し、歴史を否定することにつながる」と語った。

映画『否定と肯定』のパンフには、リップシュタットのインタビューが掲載されている。彼女はそこで、語られるものには「事実」と「見解」と「嘘」の三つがあると語る。確定した歴史の事実を否定する人々は「嘘」を「見解」や「事実」に見せかけて発表しているのだという。日本にも、負の歴史を否定するために事実ではないことを書く人々がいる。「日本の歴史に汚点なんてない」という囁きは耳に心地いいが、それに惹かれて社会の認識が外国では通じない「嘘」の上に成り立つようになれば、国全体が道を誤ることになる。では「嘘」をどう見分けるか。リップシュタットは「健康的な疑念を持つことだ」と言うが、学者ではない私たちには、なかなか難しい。

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加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。

【書籍】 九月、東京の路上で ~ 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

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