私は、このレストランと彼女の写真を撮影してもいいかをたずねた。
「もちろん、どうぞ。ああ、私はあなたのその一言を、とっても愛しています。今まで、多くのジャーナリストやメディアが取材に来ましたが、撮影してもいいかをたずねたのは、あなたが初めて。たったそれだけの一言が、どうしてタウンシップの人間に対しては、言えないのでしょう。写真を撮ってもいいですかと、ほかの人、ほかの場所ならば聞くのが普通でしょうに。私たちは、動物園の動物じゃないんですから。」
後日改めて、ここで食事をいただいた。
彼女が育てた野菜を中心にしたサラダやコロッケなどの前菜は、大きな皿に小さく上品に盛られていた。メインは、アビのお母さん直伝の、鳥肉の煮込み。デザート三種盛りも美しく、おいしいものだった。常にこちらの様子をかいがいしく伺いながら、料理の説明をしてくれたアルバイトの青年もまた、印象に残っている。
レストランのアビと宿のルンギは、互いに面識はなかったようだが、互いの存在は知っていた。ルンギに、アビのレストランをたずねたことを話すと目を細めて喜び、どんな料理が出されたのか、店内の様子はどうだったかなどを、興味津々にたずねられた。
ルンギもまた、自分の仕事に対して熱い想いを持っている。
宿を開いた直接のきっかけは、彼女を家政婦として雇っていた雇用主がイギリスに帰ることになったためだが、生活の糧を得るためだけならば、仕事場はカエリチャでなくてもいいはずだ。ルンギは散歩をしながら、こう話してくれた。
「ケープタウンでまわっているお金のうち、少しでもいいから、カエリチャにもまわってくるようにしたかったのです。多くの観光客が使うお金は、ケープタウンの中でだけまわっています。私がここで宿を開けば、その一部分であっても、直接カエリチャの人々に届けることができます。まだまだカエリチャには貧しい人が多く、ぎりぎりの助け合いがあるからこそ、生きられている人が多いのです。例えば、この散歩で紹介した老人養護施設は私営のもので、わずかな寄付金だけで運営されています。ケープタウンには、世界中から絶え間なく観光客が訪れ続けているのに、人もお金も、カエリチャに届かないのは残念です。私は、宿を通して、カエリチャを助けたいのです。」
外側から見る限り、南アのタウンシップには、簡単には足を踏み入れられない雰囲気がある。しかし、いったん中に入ってみれば、街の機能も、人々の暮らしも、そして人を思いやる気持ちも、南アの白人社会とそれほど変わりはない。
しかし、タウンシップを形成する「SHACK」の外観と、普通の街を「黒人居住区」と称して区別してきた歴史が、今もタウンシップを多くの人々から遠ざけてしまっている。タウンシップと、そこで暮らす人々への先入観と偏見を生み出した、この国の「94年以前(注)」にとられた政策は、罪深い。
カエリチャでは現在も新築ラッシュが続き、あちこちで新しいビジネスの機運が感じられる。もはや、タウンシップと呼ぶことがふさわしくない街だ。いずれここは、カエリチャという名の、ケープタウン郊外にある普通の街になるのだろう。
しかし、南アのすべてのタウンシップが、カエリチャと同様の状況にあるわけではない。無職や低い収入のために、タウンシップで、やむなく質素な生活している人々は、まだまだ多い。
他のタウンシップに暮らす人々は、タウンシップでの生活に、どのように向きあっているのだろう。そして行政は、タウンシップに対してどのような政策をとってきたのだろうか。
私は、ケープタウン周辺で最も古いタウンシップを訪ねてみることにした。
筆者注:南アでは、アパルトヘイトという言葉を発することが苦々しく感じられることから、アパルトヘイト体制下の時代のことを、「1994年以前」と称することが多い。
<岩崎有一/ジャーナリスト>
アフリカ地域に暮らす人々のなにげない日常と声と、その社会背景を伝えたく、現地に足を運び続けている。1995年以来、アフリカ全地域にわたる26カ国を訪ねた。近年の取材テーマは「マリ北部紛争と北西アフリカへの影響」「南アが向き合う多様性」「マラウイの食糧事情」など。Keynotersにて連続公開講座「新アフリカ概論」を毎月開催中。2005年より武蔵大学メディア社会学科非常勤講師。
HP: http://iwachon.jp
facebook: iwasaki.yuichi.7
twitter: @iwachon