◆政府が真実を隠ぺいした?
また、震災後にまとめられた内務省や警視庁、司法省の震災総括文書でも、朝鮮人独立運動家のテロや暴動など存在しなかっと記されている。ところが工藤夫妻は、これに対して、“当時の日本政府が暴動を隠ぺいしたのだ”と主張する。
“政府の隠ぺい”の証拠として彼らが明示できるものは、しかし、たった一つの“証言”しかない。その内容は、当時の内務大臣・後藤新平が暴動の隠ぺいを内々に認める発言をしている/それを当時の警視庁官房主事であった正力松太郎が聞いた/ということを、戦後、ベースボールマガジン社の創始者である池田恒雄氏という人が正力から聞いた/ということを、池田氏から工藤夫妻が聞いた―というものだ。つまり直接には池田氏から工藤夫妻がそう聞いた、ということだけ。文字すら残っていないようだ。
大正時代の震災の話だというのに戦後の野球界から唐突に呼び出されるこの池田恒雄氏とは、いったい誰だろうか。工藤夫妻はこの本の中で一言も明らかにしていないが、なんと工藤美代子氏の実父(つまり加藤康男氏の義父)である。しかも池田氏はこの本が出る前に他界している。果たして、こんな話を“証拠”として受け取れるだろうか。
要するに、「朝鮮人虐殺はなかった」「自警団の正当防衛だった」という彼らの新説の証拠は、当時の流言を記録する史料としてよく知られてきた震災直後の新聞記事と、“私だけが聞いた、お父さんの一言”だけなのだ。まともな論理としては破綻している。
◆(略)と示さずに引用部分を切り刻む
私はさらに、この本の史料引用箇所を一つ一つ、原典とつき合わせてみた。すると、(略)とも示さないで史料を切り刻む、恣意的な切り取りによって原文の意図を正反対にする、出典元に全く書いてない内容を書いてあるかのように“紹介”する、統計の初歩的トリックで朝鮮人被殺者数を小さくしてみせる…といった問題点がいくつも明らかになった。ちなみに引用の省略については、凡例で「(略)と記した箇所以外にも読みやすさや紙幅の関係から省略した部分がある」と居直っている。紙幅の関係なら(略)と示せばよいだけだ。こんな凡例は見たことがない。
この本に散りばめられた多くのトリックを明らかにするために、私は相当な労力と時間を費やした。多くの読者は、本を読むときに、いちいちそのように調べてみることはないだろう。「そういう見方もあるのか」「そんな事実もあったのか」と納得してしまうかもしれない。この本はたいていの図書館に置かれているから、その波及効果は深刻だ。おそらく、歴史の他のテーマでも、似たような“手法”でつくられた本が何冊も出ているのではないだろうか。こうして日本社会の歴史認識がじわじわと“フェイク”に侵食されていく。歴史修正主義の罪深さと怖さを身にしみて思う。
※この本についての詳しい検証については、私も参加する「民族差別への抗議行動・知らせ隊」制作の二つのサイト「『朝鮮人虐殺はなかった』はなぜデタラメか」、「工藤美代子/加藤康男『虐殺否定本』を検証する」をご覧いただきたい。
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加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。
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