3月5日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権が送った特使と、金正恩氏は会った。昨年12月までの核・ミサイル騒動の緊張を考えると、まるで嘘のようであるが、平昌五輪参加を機に北朝鮮が韓国に対して対話・平和攻勢転じるだろうということは、専門家や韓国政権の間では十分に予測されていたことだ。金正恩氏が、突然心変わりしたのではなく、かねてからの戦略だったと考えるべきだ。
金正恩政権は、2016年から核と弾道ミサイル開発に脇目もふらずまっしぐらに進んだ。2017年には大小16回のミサイル発射実験を行い、9月には6度目となる核実験も強行した。
2016年7月に韓国に亡命した元駐英国公使の太永浩(テ・ヨンホ)氏は、翌年初めの記者会見で、次のような趣旨の発言をしている。
「金正恩は核武力完成に向けての工程時間表を作っていた。2017年末までに核ミサイルを完成させて、その後、核保有国として対話に出る、そんな方針が在外公館に伝えられていた」。
韓国、中国、米国の警告と説得を全く無視してにずんずん進んだ金正恩氏のもとには、当然、対価として高い請求書が送りつけられることになった。実験をする度に安保理決議による制裁は上書きされて強まり、遂に、今年は前年の輸出額の約9割を失うことになった。2017年12月の決議第2379号によって、石油製品の北朝鮮への輸出量が90%近く削減された。今や、国連安保理で北朝鮮の肩を持つ国はなくなってしまった。
参考記事 :<北朝鮮内部>制裁影響深刻 貿易会社休業や給料停止相次ぐ 軍も牛車使う(写真3枚)
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