◆トルコ軍・武装諸派との戦闘でYPGの息子あいつぎ死亡
シリア北西部アフリンでのトルコ軍と自由シリア軍系武装諸派による侵攻作戦は50日を超え、トルコ国境に接する地域はすべて制圧された。戦闘機や戦車を投入しての大規模な作戦に対し、クルド組織・人民防衛隊(YPG)は激しい抵抗戦を続けている。トルコ軍は攻撃の理由を「クルド勢力・YPGと民主統一党(PYD)はテロ組織であり、トルコをテロから守るため」としている。
アフリン住民の主婦、バデーア・アル・ラハマン(59)さんはYPGの戦闘員だった3人の息子を失った。彼女は「息子たちはテロリストではない」と話す。ネット回線のメッセージ通信を通してその思いを聞いた。今回は前編。(玉本英子・アジアプレス)
◆「YPGに入ったのはクルドの地を守り、ISと戦うため」
主婦バデーア・アル・ラハマン(59):アフリン市近くの村に住んでいます。もともとは農家でしたが、現在、夫はタクシーの運転手をしています。普通の家庭です。
私の子どもは、娘2人と息子4人。しかし、うち3人の息子を失いました。いずれも戦死です。
3人の息子がYPGに入ったのはシリア国内にあるクルドの地を守るため、そしてイスラム国(IS)と戦うためでした。三男ジワン(35)は昨年の3月にシリア北部でのIS掃討作戦で命を落としました。
そして先月下旬、2人がアフリンで死にました。次男マスード(38)は3人の子を持つ父親でした。トルコ軍とシリア武装グループが村を襲撃した際に殺されたということでした。四男レザン(33)も同じ時に殺されました。彼も子どもが一人いました。妻は次の子どもを身ごもっていて、彼が死んだ後に二人目を出産しました。男の子だったので、生まれたその子に父と同じレザンと名付けました。
先日、2人の葬式を行ないました。棺を用意し、土に埋めました。しかし棺の中に遺体はありませんでした。戦闘が激しく、運んでくることはできなかったのです。私の心は引き裂かれそうでした。
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