◆ヤズディ教徒はなぜ狙われたのか

ヤズディ教は、ゾロアスター教やイスラム教、キリスト教などの影響も受けた少数宗教。おもにイラク北部の町や村にコミュニティがある。クルド語を母語とし、イラクでは、約60万とされる。フセイン政権時代には、反体制的なクルド系として危険視され、村落破壊などの迫害を受けた。ヤズディ教は太陽や孔雀天使を崇拝する。このため、過激なイスラム主義者からは「邪教」「悪魔崇拝」などとみなされ、繰り返し激しい攻撃にさらされてきた。
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2007年にはアルカイダ系組織が、シンジャル近郊の町で自爆テロを起こし、400人におよぶヤズディ住民が死亡する事件が起きている。ISのシンジャル襲撃は突然起きたわけではなく、一連のヤズディ迫害と「邪教」扱いの延長で起きたものだった。

2014年8月、ISがシンジャルを襲撃した際の状況。イラクのヤズディ教徒のおもな居住地がシンジャルとシェハン周辺。シンジャルから逃れた住民の多くが、クルド自治区のドホーク、ザホ―近郊に逃げ、避難キャンプでの生活を強いられた。
ISは、シンジャル襲撃後、住民はイスラムに改宗し手厚い保護を受けている」とする映像を公開。だが、銃を突きつけられたうえでの「改宗」であり、地元領民の命を守るために改宗を受け入れたヤズディ部族もあった。(2014年・IS映像)
ISから逃れシンジャル山のテントで一時避難していた男性は、首を切り落とされ放置された親戚の遺体を携帯電話に撮って残していた。(2014年9月、シンジャル山で・撮影:玉本英子・一部をぼかしています)

◆信仰を中心にしたコミュニティの絆

私がシンジャルを訪れたのは2012年7月。当時は、イラク軍とクルド部隊ペシュメルガが地域の治安維持にあたっていたが、幹線道ではたびたび武装組織の襲撃が起きていた。このため車には治安部隊の兵士に同行してもらって現地をまわった。

シンジャルはのどかで静かな町だ。だが、地元に産業はなく、土漠地帯に囲まれた地域では農産物も限られる。男たちの多くが、クルド自治区に出稼ぎに出て、建設現場や飲食店従業員として働いていた。

ある日、村の結婚式に招待された。その時、出会った新郎新婦がミルザとイヴァンだった。村人たち数百人が、2人の門出を祝福し、踊りの輪を囲んでいた。

シンジャルのヤズディ村で結婚式を祝う住民たち。数百人が集まった。私も踊りの輪に加わった(写真中央)。男女が腕をつないで、大きな輪を作って踊る。信仰で結ばれたコミュニティが息づいていた。(2012年7月・イラク北西部シンジャル・シヴァシェヒドル)
結婚式をあげる新郎ミルザ(25歳・当時)、新婦イヴァン(17歳・当時)。私もこの結婚式に招待され、2人を祝福した。それから2年後、シンジャル襲撃が起きる。私は2人の行方を追った。(2012年7月・イラク北西部シンジャル・シヴァシェヒドル 撮影:玉本英子)

 

あの結婚式から2年後の2014年、シリア・イラクで勢力を急拡大させたISは、イラク北部の大都市モスルを制圧、それに続いてシンジャルを襲撃した。あの時、幸せいっぱいだったミルザ・イヴァン夫婦はどうなったのか。ヤズディ教徒を襲った虐殺と拉致という未曽有の悲劇の事態をイラクとシリアで取材しながら、私は夫婦の行方を追った。(第1回了・つづく・全5回)

第2回 >>>

(5・最終回)子どもを拉致された家族の悲劇
(4)破壊され尽くしたシンジャル
(3)救援作戦と避難民夫婦の思い
(2)拉致女性は「強制結婚」の名でレイプ
(1)「邪教」とされ虐殺、女性らを拉致「奴隷」に

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