日本でも一昨年に公開された『弁護人』という韓国映画がある(DVDも発売されている)。名優ソン・ガンホ演じる、若き日の盧武鉉をモデルにした人権派弁護士が、政治犯とされた学生の冤罪を訴えて闘う法廷劇だ。その中で、公安刑事が憎々しげに語る場面がある。
「おい、弁護士さんよ。朝鮮戦争はもう終わったと思っているのか。休戦しているだけだろう。なのに、みんな戦争はもう終わったと思っている。なぜか分かるか。俺たちのような人間がアカども(共産主義者)を捕まえているからだ。そのおかげで、あんたのような奴が安心して暮らしているんだよ」
80年代末まで、韓国は軍事独裁政権下にあった。言論は統制され、政府に抗議する者は投獄され、拷問された。それを正当化したのが「北朝鮮の脅威」だった。だから民主化運動は、社会に浸透するこの「冷戦の論理」とでも言うべきものと対決しなければならなかった。いや、「論理」だけではない。韓国の民主化は、この国に最前線基地の負担を負わせる冷戦構造の「現実」を食い破っていくことで進んでいく。
1987年6月、100万人以上が街頭にあふれた「6月民主抗争」と呼ばれる巨大なデモによって軍部独裁ははっきりと否定され、以後、韓国では急速に民主化が進んだ。だが朝鮮半島ではその後も南北間の緊張が続く。それは韓国の政治や社会の改革にとっての障壁として立ちはだかってきた。今も続く2年間の兵役義務もその一つだ。
90年代初、こうした状況を説明する「分断体制論」を提起したのが、韓国を代表する思想家の一人である白楽晴だ。
言うまでもなく、朝鮮半島を二つに分断したのは周囲の大国である。日本が朝鮮を植民地支配し、その日本が戦争に敗れると、進駐したアメリカとソ連の主導で南北に二つの国家が成立する。
だが白楽晴は、この分断を自ら固定化する力学が朝鮮半島内部に働いてきたことを指摘する。南北をそれぞれに支配する既得権益層が、実は互いに対立することで互いに支え合っていると見るのである。端的に言えば、対立と緊張によってこそ、権力者が民衆に我慢を強いることができるということだ。彼はこれを「分断体制」と呼ぶ。
相互の対立がそのまま相互の依存を意味する以上、相手を力で押しつぶそうと試みることは「体制」の強化にしかならない。「分断体制」克服の唯一の道筋は、人々が下からそれを乗り越えていくことだと白楽晴は主張する。さらに彼は、そのためには世界的な視野が必要だともいう。分断は国際的な冷戦構造の産物なのだから、確かにそういうことになる。
民主化運動の中から押し上げられた文在寅が目指しているのは、この「分断体制」を、国際環境を調整することで一歩ずつ、平和裏に克服していくことなのだろうと私は考えている。それが南北双方における改革の進展につながり(少なくともその環境を準備し)、いつの日か「平和統一」を成就させることになる。つまり文在寅外交は、冷戦構造に抗い、それを食い破って進んできた韓国民主化運動の帰結であり、必然なのだ。
朝鮮戦争の終結が実現すれば、対立=依存の「分断体制」の克服は大きく進む。それは南北双方の庶民に利益をもたらすだろうし、日本を含む東北アジア地域全体に「平和の配当」をもたらすだろう。核問題も、その流れの中でのみ解決するだろう。だが一方で、分断体制から「緊張の配当」を得てきた人々も、関係するそれぞれの国の中に存在する。それぞれの国で、選択が迫られることになる。
文在寅大統領は、南北首脳会談に向けた政府内の準備会議を始めるにあたり、「世界史の大転換を始めよう」と口火を切ったという。あえて「世界史」と言うのは、これが朝鮮半島の人々がその主人公となるためのプロジェクトであると同時に、国際的なプロジェクトでもあるからに違いない。その後、「大転換」は確かに始まり、いかにも危なっかしい足取りだが、今のところその歩みを止めていない。事態がどこに進むにしろ、日本が「蚊帳の外」にいることは不可能だ。
▲ 『弁護人』はセルDVD発売中。発売元:(株)彩プロ。販売元:TCエンタテインメント㈱。
加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。
【書籍】 九月、東京の路上で ~ 1923年関東大震災ジェノサイドの残響