◆空爆の被害や人々の声を現地から命がけで伝える
シリアの首都ダマスカス近郊の東グータ。反体制武装諸派が拠点にしてきた地域だ。その面積は大阪市のほぼ半分に相当し、40万人が暮らしてきた。政府軍は「テロリスト掃討」の名目で、この地域に繰り返し攻撃を加えた。2013年8月には化学兵器が使われ、民間人に多数の死傷者が出た。
その時、電話がつながったのが、サクバ地区に住むアブドゥル・アルバセッドさん(当時22歳)だった。「夜中に爆発音で目が覚め、救護所に向かった。100人以上が横たわり、鼻や口から泡を吹く子どももいた。毒ガスだと思う」。彼は震える声でそう話した。
大学生だったアブドゥルさんは参加した反体制デモがアサド政権に弾圧されたことをきっかけに、市民記者として活動を始めた。空爆の被害や人々の声を現地から私に伝えてきてくれた。政府軍に包囲された東グータの住民は他の地域への移動が容易でなく、爆撃から逃れることができなかった。
彼は地区に暮らしながら外国の通信社と契約するカメラマンになった。15年に結婚し、男の子が生まれた。「こんな戦争はたくさんだ。僕の子どもにはもう悲惨な思いをさせたくない」と話していた。
今年2月18日、シリア政府軍は東グータに対して大規模な攻撃を始めた。アブドゥルさんから再び連絡が入った。「ずっと空爆が続いている。自分もどうなるか分からない」。この日から1週間の間に1000人以上の市民が犠牲となった。
爆撃を避けるため、彼は妻と息子を連れて建物の地下に移った。そこにはたくさんの子どもたちが避難していた。食料が手に入りにくくなったため、空爆が続く中も外に出て、7か月になる幼な子のためにミルクを探してまわった。
がれきから家具の木片などを集めて燃やし、米を炊く。食事は1日1回。携帯電話はなんとかつながったが、シェルターでは電波が届かず、彼は私と話す時、地上近くに出た。その声は戦闘機の轟音(ごうおん)や爆撃音に何度もかき消された。数日後、彼からの連絡が途絶えた。
3月下旬、東グータのいくつかの町で反体制派が政府軍と合意。戦闘員と家族、一部の住民らはバスで他の反体制派拠点地域へ移動することになった。連絡が取れなくなって10日後、アブドゥルさんからメッセージが入った。「元気だから心配しないで」。彼と家族はバスで北西部のイドリブ県に到着したとのことだった。
4月7日、一部の反体制派が残っていたドゥーマ地区で、化学兵器が使用されたという疑いが出た。その1週間後、米国のトランプ大統領は対抗措置としてシリア軍施設などに対する軍事攻撃に踏み切る。アブドゥルさんは言う。「僕は米国による攻撃を支持する。東グータではこれまでたくさんの人が死んだのに、どの国も助けてくれなかったではないか」
国際社会の無関心と、大国の政治に翻弄(ほんろう)されてきた住民の思いは複雑だった。しかし、この攻撃が新たな衝突を生み出すのは悲しすぎる。内戦によるこれまでの死者は35万人を超えた。21世紀に入って最悪の被害を出したシリアでの戦争は、解決の糸口が見えぬまま、いまも続いている。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2018年4 月24日付記事に加筆修正したものです)