はじめに
本連載は、石丸次郎が2002年8月に刊行した『北朝鮮難民』(講談社現代新書)を電子版として復刻したものである。「苦難の行軍」と呼ばれた大社会混乱と大飢饉の発生時、北朝鮮から中国に膨大な数の人々が越境するようになったが、そのピークであった1997年から2002年に、朝中国境地帯及び北朝鮮国内を取材した現地報告が原作の『北朝鮮難民』である。
当時は、まだ脱北者という呼称は一般的でなく、越境者、難民という呼び方をしていた。2018年6月時点で、韓国入りした脱北者は累計3万数千人になったが、脱北者を巡る様々な問題の着火点となったのが「苦難の行軍」の時期であった。
『北朝鮮難民』は数度増刷されたものの、その後絶版になり、現在では入手が困難になっている。上梓後約20年が経ち、朝中国境と北朝鮮国内の状況も大きく変化した。飢餓は解消された一方、国境警備が厳重になって、北朝鮮から中国に越境することは物理的に困難になっている。朝鮮史上最悪の飢餓と、それによって民が国を離れ難民化するという大災難発生時の記録として、多くの人に読んでいただきたいと考え、僭越ながら書籍ではなく電子版という形で復刻することにした。読み返すと、拙い表現が目につき書き直したい気持ちが沸いてくるのだが、修正は最小限に抑え、20年間の変化を踏まえた補注を、※を記した上で置いた。(石丸次郎)
◆「瀋陽事件」の生々しい映像
中国遼寧省瀋陽の日本総領事館に、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の難民五人が駆け込みを図った「瀋陽事件」は、もともと隣接する米国総領事館で「勃発」するはずだった。
駆け込みが実行される11日前の2002年5月6日、難民のキム・グァンチョル一家を保護してきた韓国人の文国韓(ムン・クッカン)さんから、日本にいる私に国際電話がかかってきた。駆け込むターゲットを米国総領事館から日本総領事館に変更した、現場に来て取材して欲しいという連絡だった。米国総領事館は警備が厳しく、年寄りと女性、赤ん坊がいては、到底無理だという判断からだ。
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