「隣にある日本の総領事館は、ビザ申請者のために日中は人が通れるだけ門を開けてあるんですよ。これを見て、おお、日本が手を広げて、私たちに入ってきなさいと招いてくれている、これも神の思し召しに違いない、そう思ったわけです」

諸事情で現場に行けなかった私に、ターゲット変更について、文さんは後日こう振り返った。日中外交摩擦にまで発展した「瀋陽事件」は、繊密に計画を練り上げて実行されたというよりは、結果的に支援者の現場判断で重大事件に発展したのである。

さて、五人の北朝鮮難民が駆け込みを図った瞬間は、韓国聯合通信と日本の共同通信によって撮影され、生々しい現場映像が世界中を駆け巡った。舞台が日本総領事館であったため、日本は否応なく当事者となる。

この事件をきっかけとして、政府外務省の隠蔽体質、対中外交の在り方、閉鎖的な日本の難民政策などが、日本中で集中的に議論されることになった。私は何よりも、これまで日本であまり関心を持たれることのなかった北朝鮮難民の存在に光が当たったことが、「瀋陽事件」が結果的にもたらした最大の「成果」だったと考えている。

映像の力は強い。総領事館入り口の数メートル四方の空間で、警備の中国武装警察官の制止を、渾身の力で振りきろうとする二人の女性と幼子の姿は、文字通り必死の思いで救援を求める北朝鮮難民の存在を強く訴えた。

また、駆け込み決行の数日前に支援者によって撮影された五人のインタビュー映像は、北朝鮮で生きることの困難さ、北朝鮮に送還されたときの処罰の恐怖、自由な場所で人間らしく生きたいという切実な思いを肉声で伝えた。これまで目に見えにくかった北朝鮮難民の姿の一端が、映像によって広く知られることになったのだ。
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