◆生身の「北朝鮮の人間」が初めて見えた

北朝鮮難民のことを、私は「匿されし不可視の難民」と呼んできた。北朝鮮を脱出するときは、少人数で闇夜に紛れて国境の川を渡り、中国に逃れた後も摘発をおそれて息を潜め、ちりぢりになって暮らしているため、その姿・存在が非常に見えにくいからである。

アフリカやアフガニスタンなどの難民の姿は、痩せ細った子供、粗末なテント暮らし、集団で移動する様子などが、映像となって伝えられる。もちろんそれらは世界の難民の困難に喘ぐ姿のほんの一部にすぎないだろう。しかし、多くの場合、現場に行けば会って話を聞くことは困難ではなかった。

北朝鮮難民の場合は、国を離れる姿も、異国で救援を待っている姿も映像で記録されることが極めて難しく、中国では「人民の海」に潜って、難民であることを悟られないように生きており、会うことも簡単ではない。このような「匿されし不可視の難民」が中国に5万~10万人強いると私は推定しており、その存在が「瀋陽事件」によって初めて広く日本社会に認知されたのである。

付け加えて言うなら、「瀋陽事件」はまた、日本社会がほとんど初めて生身の北朝鮮人の存在を意識した瞬間だったと思う。日本と北朝鮮はいまだに国交がないため、人の往来・交流自体が大きく制約されてきた。さらに、北朝鮮当局の住民監視と統制のため、たとえ会って話す機会があったとしても、北朝鮮の人々は自由に話すことがまったくできないし、本音を語ることは不可能だった。

北朝鮮当局のコントロール下で取材をする限り、そこに登場する北朝鮮の人々から、本当は何を思い暮らし、何を望んでいるのかを見つけ出すことは無理だといっていい。テレビの北朝鮮取材で私たちが目にしてきた、生活感をまったく感じさせない人々の姿、公式的な答えに終始する本音の見えないインタビューは、北朝鮮の人々の虚像にすぎない。

それに比べて「瀋陽事件」の報道を通じて流れた映像からは、生身の北朝鮮人の叫び、涙、訴えがあった。もとより短い映像であり限界はあるのだが、北朝鮮の民衆が、ロボットのように洗脳された存在ではなく、私たち日本社会に暮らす者と同様の「普通の人間」であることを、映像を見た人たちは感じ取ったと思う。
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