◆飢餓に地域差
「清津など中国に近いところはまだまし。物が中国から入ってくるから。一番危機的な状況にあるのは、南部の工業都市だ。金策、元山、咸興、興南などから多くの人が食糧を求めて北上してきていた」(前出Bさん)
「南朝鮮に近い江原道が大変だ。軍隊が集結していて、入ってくる食糧を最優先で持っていく。残りを人民が分け合う」(前出Cさん)
これらもほぼ共通した見解だった。南部の工業都市の状況が悪いのは、北朝鮮を代表するような大企業所(職場)が集中しているからだという。外貨が稼げず自己調達できない大企業所では、配給が停止すると、短期間に大量の人間が飢餓に直面することになる。人口の多い工業都市が集中する東海岸側の打撃が深刻な理由である。
山がちで耕作地の少ない咸鏡北道、両江道、平安北道のほうがむしろ死亡率が低いのは、中国と隣接している地域だからだ。密輸であれなんであれ、物と金の往来があり、また中国に越境・脱出できることが、多くの人にとって救いになった。
かつて、咸鏡北道や両江道は北朝鮮のなかでももっとも貧しい地域で、政治的失敗を犯した人が追放される地域だった(北朝鮮内で「疎開民」といわれる)。しかし、中国と近いという「地の利」が生きて、今や平壌を除くともっとも暮らしむきがましな地域になっている。
軍隊に食糧がまわっているというのも、北朝鮮政権が、体制維持に欠かせない軍隊に優先策を取っていると容易に理解できる。
また、平壌などの特別な地域、軍隊や治安機関、労働党幹部ら特権層には、量的質的低下はあっても配給システムがぎりぎりまで維持される一方で、それ以外の一般民衆は、座して死を待つばかりの状況だったようだ。これは政策の失敗というレベルを超えて意図的ですらある。
だが、平壌から脱出してきた難民によれば、97~98年には、配給のストップした企業所が数多く発生、平壌でも餓死者が大量に出たという。
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