全体の死亡率 「良き仲間たち」調べ

◆飢餓のメカニズム

さて、越境者、難民証言に戻る。彼らの証言から浮き彫りになった点を整理して記したい。

まず、私がもっとも注目したのは、「配給制度はもはや崩壊している」という証言だった。

配給制度とは、糧食を始めとする、ほとんどすべての人民の消費物資を、国家が計画的独占的に、国定価格で(きわめて安価に)供給する制度である。年齢や職業によって細かい規定があるようだが、例えば成人は1日コメ700グラムというように、最低限の食糧を国家が独占的に統制して供給するシステムだ。

そのためコメやトウモロコシなどの糧食の闇取引は厳しく統制されてきた。カロリー源を国家にしっかり握られているのだ。配給制度によって民衆を統制支配するシステム=糧政と北朝鮮政権が自ら称している所以だ。

配給のマヒが始まった時期については証言にばらつきがあった。だが、もともと地域ごとに行っていた配給を、9495年から企業所が食糧を自己調達して労働者に供給するというように制度が変わったことはほとんどの難民に共通する回答であった。

企業所が外貨を稼いで自己調達する方法とは何か。水産業のようにもともと輸出して外貨を稼げる企業所はともかく、建設・運輸・国内向け生産などの場合は業種を転換するしかない。

「外貨稼ぎというのは、薬草掘りやマツタケ採り、山菜採りなんかだ。それを企業所に持っていくと食糧と替えてくれる。中国に売ってトウモロコシを買うわけだ」(前出Cさん)

配給制度が崩壊し、各企業所が自力で労働者に食糧供給するとなると、まず職場を持たない老人、子供、家事労働をする婦人が、食糧を得る術を失う。そして当然企業所間の格差が生じる。

「力のある企業所は、外貨稼ぎができても、そうでないところは何もできず、家族もろともいっぺんに飢え始める。私のいた建設企業所は何の力もなく、山に入ってマツタケ採りをやるよう指導していたぐらいだ。けれど、腹が減っていては山に入るのも楽ではないんだ。97年に入ってからは、企業所からもほとんど食糧供給を受けられなかった」(前出Aさん)

企業所からも食糧供給を受けられない人は家財道具を売り、家を売って商売する。

「家財を売ってジャンマダン(闇市)で小麦粉を買い、それでパンやもち、グクス(朝鮮の麺(ソパ)を作って売って利ざやを稼ぐ。それで、トウモロコシ粉を買って粥を作って凌いでいた。粥には木の皮をゆがいたものや酒粕を入れたりして量を増やす」(咸鏡南道端川郡出身、40代の女性)

配給制度の崩壊と、このジャンマダンと呼ばれる闇市場の急激な拡大が、95年以降の北朝鮮社会の大変化を象徴的に現している。(続く7へ >>

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