前述したとおり、96年から98年ごろまで、全国のほとんどの企業所で配給と賃金支払いがストップしていた。企業所の幹部たちも食べていくことができず、このような不正・腐敗が蔓延していたという。
北朝鮮には、このような一般の「通行証」だけでは行くことのできない特別な地域がある。平壌市、豆満江・鴨緑江近くの朝中国境地域と、江原道、黄海南北道の軍事分界線地域だ。この地域に行くためには、通行証に加えて「承認番号」まで受けなければならない。
「承認番号」は、地域の人民保安部で付与するのではなく、中央の人民保安省から直接付与されるという。承認番号が書かれた証明書には、平壌市行きには赤い斜線、国境地域には青い斜線が引かれているという。このような特別な証明書を誰彼なく発給するわけがないのは当然だ。
中国に脱出しようとすると、とにかく、いかにして「承認番号地域」にまで近づくかが重要になってくる。中国との国境地域に近づくほど山は険しく、道は少なく、そして検問所は増えていく。北朝鮮脱出の困難さは、物理的な川越えではなく、国境の川に辿り着くことが難しいのである。
◆脱出の経路と方法
中国へ脱出する経路は国境に接近する方向によって種々あるが、その道程は大きく3段階にわけて考えられる。
1段階 「承認番号地域」外のぎりぎりの地点まで
2段階 「承認番号地域」の中の国境都市・街まで
3段階 国境都市・街から国境の川まで
移動の自由のない北朝鮮でも、中国に脱出しようとして「承認番号地域」の外側で捕まったのなら、「通行証」なく移動したことをとがめられるだけで、北朝鮮脱出のためという疑いを強く受けるわけではない。
だが、「承認番号地域」に到達してから「通行証」がないことが発覚すると、それは下手な言い訳が通用する余地はない。中国に逃亡しようとしたとみなされて取り調べを受け、「労働鍛錬隊」「集結所」のような拘置施設に入れられて過酷な処罰を受けることになる。
まず「承認番号地域」に到達するまでをみてみよう。
豆満江の中国側・延辺朝鮮族自治州は、北朝鮮難民にとって格好の隠遁地である。朝鮮語が通じるうえ、親戚知人を持つ人も多くて、人的関係においても近い。気分としても飢えた同族に非常に同情的である。
北朝鮮を脱出しようとする人々は、単に中国に出られればいいとは考えず、中国に出たあとの過ごしやすさ、潜りやすさも考慮する。すると、どうしても咸鏡北道方面に出たあとに豆満江を越えて言葉が通じる延辺地区に逃げ込むのが、もっとも「理想的な」脱出ルートということになる。
一方、鴨緑江側は上流の恵山市までは北朝鮮内での交通の便も良く、川幅も狭い。このため97年ごろまでは朝中国境最大の越境ポイントだった。しかし鴨緑江対岸の中国側・長白県付近は朝鮮族が多くない。せっかく国境を越えても、潜り込める「人民の海」が小さいのだ。
「96年ごろから朝鮮人が渡ってきはじめた。飢えた人々だったので当初は大目に見ていたが、どんどん渡ってきては、家畜やコメを盗んでいく連中がいるので、ある時期は夜通し見張りを立てていた。とっ捕まえると袋叩きにして警察に突き出すのさ。女の場合は可哀想に、内陸に売り飛ばすのが普通になってた」(99年8月、鴨緑江の中国側・五道江の中国人)
豆満江側は渡河したそこには、延辺朝鮮族自治州という「朝鮮世界」が広がっているのだが、鴨緑江側は、この中国人の証言が示すように、「中国世界」なのだ。国境線の距離としては、鴨緑江のほうが長いのだが、実際に渡河するのは9割方が豆満江であるのはこのためだ。
注 2010年以降、豆満江側の警備が朝中両国で厳しくなり、渡河する人のほとんどは鴨緑江上流を越えるようになった。(続く11へ >>)