「大学内に入りたいならスカーフを脱げばいいじゃないか」という警備員の言葉に怒ると同時に、立ち入りを阻まれ落胆する4人。(2001年:イスタンブール・撮影・玉本英子)

 

「私はこの大学に通って4年になります。このまま卒業もあきらめろというのですか」
4年生のスィベルは詰め寄る。
すると警備員は言葉を返した。
「じゃあ、そのスカーフを脱げばいいじゃないか。それなら大学内に入っていい」
そんなことを強いるなんてひどい、と4人は反発した。

警備員は、守衛所から学務局に電話したが、敷地に入れないという態度は変えなかった。
押し問答を続けたゼヘラたちだが、それ以上の混乱は望まず、4人はあきらめて引き返すことにした。
「私たちの信仰心を何だと思っているの!」
「トルコは自由の国なんかじゃないわ、信教の自由がないんだもの」

当時、ボアズィチ大学の9000人の学生のうち、スカーフ女子は約200人。ほとんどはスカーフを脱いで通学を続けた。一方、授業に出られず、自宅で自習するゼヘラ(写真右)は、「あきらめない」と大学の正門前で話した。(2001年:イスタンブール・撮影・玉本英子)

 

大学側の対応は予想していたものの、警備員から突き付けられた「スカーフを脱げばいいじゃないか」という言葉に彼女たちの怒りは収まらない。授業に出れないまま、どうすればいいのか、彼女たちもわからなかった。

この当時、トルコ各地では、校門前で苦渋の選択を強いられる女子学生がメディアにたびたび取り上げられ、涙を流しながらスカーフを脱いで敷地に入る女子の姿を報じるニュースもあった。

イスラム教徒が大半のトルコにおけるスカーフ問題は、信教の自由をどこまで社会生活のなかで認めるかというレベルの問題ではない。イスラム政党、宗教界と対峙してきたケマル主義の守護者たるトルコ軍部内の勢力との緊張が反映されてきた根深い問題である。

トルコの積年の政治問題の影響をまともに受けてしまった女子学生たち。スカーフを被っているというだけで大学生活をあきらめなくてはならなくなってしまった女子学生たちの姿は、本当に痛々しかった。

のちにエルドアン政権の登場で、スカーフ着用は認められるようになったのだが、それまでのあいだ、この問題に翻弄された女子学生たちは数知れない。(つづく) 3へ >>>

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