◆「2階へ」への誤り

豪雨被害が予想されていたにもかかわらず、なぜ、事前に避難しなかったのか。
2004年8月に大洲市を襲った台風で肱川が氾濫し、井上夫妻の住まいも床下浸水している。

「あの時と比べると今回の雨はそんなに大したことなかったから、大丈夫だと思った」

首相官邸のホームページにも「暴風や浸水で避難場所までの移動が危険な場合は、家の中のできるだけ安全な場所(崖から離れた2階の部屋)で待機しましょう」と呼びかけている。数々の被災地に入り、復興に向けていくつも提言している兵庫県立大教授の室﨑益輝さんは「2階などへ緊急避難する『垂直避難』という考え自体が間違い」と否定する。

「2階でいいのなら逃げる必要がないと受け止めている人たちがほとんどで、避難指示が出ても1%も動いていない。家の中にいていいようなメッセージになっているが、山すそなら家ごと土砂にのみ込まれるケースがあるし、河川のそばなら流木などで家ごと倒されてしまうこともある。できるだけ早い段階で、より安全な場所へ一緒に逃げることが大事で、空振り覚悟で逃げるしかない」

さらに、室﨑さんは「被災者が避難に二の足を踏むのは避難環境がひどいから」と指摘する。

「避難所というと、体育館で雑魚寝が常識化している。おにぎりや毛布を与えておけばいい、被災者は劣悪な環境に置いても我慢すべきだという発想自体が間違い。だから避難した人も体調を崩してしまう。ホテル並みの環境で食事もフルコースが出るぐらい、避難環境を見直すべき。弱っている人こそ支えないといけない」

◆思い出も泥まみれ

7日午後2時ごろ、ようやく水が引き始めた。その日の夜、電気の付かない真っ暗な自宅2階で4人、朝まで水が完全に引くのを待った。

8日朝、1階は泥だらけになっていた。土壁は剥がれ落ち、家財道具や電化製品が泥にまみれて散乱していた。

「どこから手をつけたらいいのか……」

無残な光景を目の当たりにして、まさに茫然自失の状態だったという。

井上夫妻が幸運だったのは断水していなかったこととエアコンが動いたこと。そして、夫の職場仲間や友人ら10人ほどが駆けつけてくれたことだ。

炎天下、水浸しになった畳やふとん、冷蔵庫やタンスなどを次々に外へ運び出してくれた。家財道具の中で使えるのは洗濯機だけ。「家財道具を買い直すのにいくらかかるのやろ……。ピアノは引き取ってもらうのに3万円もかかったんよ。もう泣くに泣けんわ」

一番ショックだったのがアルバムだという。泥だらけになった写真を1枚1枚、丁寧に水洗いしたが、なかなか元通りにはならない。「捨てた方がいいのかなとも思うけど、家族の思い出がなくなるようでね、よう捨てられんのよ」

肱川の上流には、野村ダムと鹿野川ダムの二つのダムがある。井上夫妻だけでなく、流域の住民は「7日朝、川が急激に増水して、水があふれた」と証言している。二つのダムからは安全とされる放流量基準の6倍にあたる水が放流されている。

ダムを管理する国土交通省四国地方整備局は「想定外の雨量で放流はやむをえなかった。住民への情報周知については適切だった」と説明しているが、浸水被害を受けた住民からは疑問の声が上がっている。(2)を読む>>

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